昨日、centenaire26しゃんと久保工業所を訪問した。その際、第6回目になる【ペン・トレーディング in 東京】用に過去の貴重やパンフレットを大量にお借りした。
昨夜じっくりと読んでみたのじゃが、一夜明けた今でも興奮を抑えきれないほど貴重な資料じゃ。
★ 当時のペリカンの輸入代理店自体が、PelikanとPelicanを間違えて、Pelicanの万年筆を掲載して【漱石も使ったペリカン!】なんて書いてあったりする。非常にほほえましい。ペントレでの展示は大混乱と紛失の恐れがあるので、来週のWAGNERでのみ公開し、ペントレでは非公開にしようと考えている。
★ 紙物コレクターでもおそらくは持ってないであろうお宝もあった。パイロットの学生向けの会社案内の分厚いパンフレット。初任給の額と福利厚生の充実度は当時の日本で最高レベルにあったのではないか!社史より貴重!脈絡のないところで、Günther Wagner社の社史にもどる。Friz Beindorffが1895年に会社を引き継いだ翌年に、Günther Wagner社はインクの生産を始める。万年筆用のインク【4001】の生産を開始するのは、1901年じゃ。
ウォーターマンが万年筆を発明したのが1883年、翌年の1884年2月には特許が交付されている。その後Moontblancが万年筆製造を始めるのが1906年。今年が100周年じゃ。正式な会社設立は1908年のはずじゃが。
Friz Beindorffが会社を引き継いだ時点では、独逸に大手の万年筆製造メーカーは無く、製造は米国中心じゃった。発売後10年が経過しており、そのヒットぶりを知ったFrizは必ず万年筆用インクの時代が来ると考えたはずじゃ。浸けペン用のインクと万年筆用インクとでは、困難度合いがまったく違うが、わずか5年の差で万年筆用インクの発売にこぎつけたのは驚異のスピードじゃ。
パイロットの【インクと化学】には壮大な苦闘の歴史が綴られているそうじゃが、Günther Wagner社でも同様の苦労があったと思われる。長期間にわたる絵の具生産の歴史は多少は苦労を軽減してくれたかも知れんがな。ペリカンブックによれば、4001インクの発売は万年筆への速攻での対応の結果生まれたと書いてある。やはりFrizは只者ではない。まずはサプライで会社を大きくし、将来は万年筆製造という夢は持っていたろう。事実1925年には万年筆にかかわる大きな特許を取得し、それをもって1929年に最初の万年筆を製造したわけじゃ。その際の売りは【インクを知り尽くしたGünther Wagnerがついに世界最高精度の万年筆をつくりました】な〜んてのだったかもしれない。
それにしてもこのインクボトルは美しい!大きさも何種類もあるが、机上のアクセサリーとしても最高じゃ。ただし封を切るともったいないのでなかなか使う機会が無い。