先日centenaire26しゃんと、kugel_149しゃんのお見舞いに行った帰りに久保工業所を訪問した。その際にペントレ用にお借りした膨大な資料の中から一つ紹介する。
【Story of Pelikan】という名のカタログじゃ。小学校の国語の教科書のように右から開いていく方式。外国製品のカタログにしては珍しい作りじゃな。右下に【P-80-1】との文字が入っている。P:Pelikan、80:1980年、1:第一号くらいの意味じゃろう。1980年にペリカンが作った最初のカタログと判断した。
当時はペリカン・ジャパンはまだ無く、【海外事務器株式会社】が日本総代理店をしていたらしい。プライスリストには【歴史140年。ドイツ万年筆No.1の伝統を誇る】と印刷されている。まさかね。Montblancの方が万年筆を作り始めたのは古い。会社の設立はPelikanの方が古いがな。会社設立140年でも万年筆を作り始めてからなら50年ほどじゃったはず。当時はそのあたりを追求する人は少なかったし、情報も少なかったから確かめようがなかったのかも。つくづく検索エンジンに感謝したい。
左は見開きになっている【Story of Pelikan】の最初の3枚をまとめて掲載した。文字は微妙に読めない解像度にしてある。心眼があれば読めるかも。
一番右上の頁はハノーヴァー裁判所に登録されたPelikanマークの変遷。目つきが悪いペリカンになった時にトサカが生えたようじゃな。それにしてもトレードマークを裁判所に登録していたとは。
中断の右側の写真が大笑いなのじゃ!『ペリカン万年筆が日本に初めて輸入されたのは明治30年のことです。この年に丸善から発行された【学燈】にペリカン万年筆の広告が出ています。・・・中略・・・明治45年に丸善が6月30日に発行した【万年筆の印象と図解カタログ】という小冊子に夏目漱石が【余と万年筆】と題して一文を書いています。それによると漱石は永年ペリカン万年筆を愛用しています。・・・』という文章とともに、【学燈】の第十号からの切り抜きされたセーフティフィラーの万年筆が堂々と掲載されている。
ハァ?Pelikanのセーフティ・フィラー? それはPelikanではなくPelicanじゃろう!と突っ込まなければならない場面じゃ! 夏目漱石がペリカンの口からセピアインクを入れたというのはセーフティフィラーでしかありえないことなので、写真は正しい。間違っているのはそれがPelikanの万年筆ではないということ。万年筆史上最大の失態カタログじゃな!
文章は非常に上手い。おそらくは文筆業の人が書いたのじゃろう。作家の歴史にも詳しい。が、ペリカンには詳しくなかったわけじゃ・・・
そうしてみるとこれも怪しい気がする。これはオリジナルではなく、Pelikan 100Nリザードのキャップの天冠を黒と交換し、黒軸の100Nと組み合わせたように思えるのじゃが・・・もしそうなら、これもまずいなぁ・・・Pelikan Bookには掲載されていないが、こういうキャップとボディの組み合わせも日本に輸入されていたのじゃろうか?
ちなみにPelikanがはじめて万年筆を販売したのは1929年。翌年にPelikan 100が発売された。1929年というのは昭和4年。明治、大正の時代にPelikanが輸入できるわけは無いのじゃ。