2007年05月08日

暮しの設計 No.117 1977年 【世界の文房具】 その4

2007-05-08 昭和52年発行の【世界の文房具】には、算盤(そろばん)が掲載されている。この次のページには電卓も掲載されているが、全て8桁。昭和47年ごろに購入したカシオの√121Lという12桁の電卓が大学の生協で57,000円だった。昭和52年時点では8桁電卓は4000円程度の相場になっている。当時の価格下落の速度は、それほど速くないように思えるが、間にオイルショックが入っているので、技術革新を上回るほどの人件費、材料費高騰を考慮すればこんなものかも。

 拙者が小学校の時には高学年になると算盤の授業があった。当時はそろばん塾がさかんで、クラスの3割くらいは通っていた。拙者は算数が大好きだったが単純計算を早くするだけという算盤にはなじめず、当然塾にも通ってなかった。算数の難問をどうやって解くか?と考える事が好きじゃった。

 算盤は、塾に通っている人と、独学の人とで圧倒的なスピード、正確性の差があった。子供心に驚いたものじゃ。

 我が家では父も母も珠算は2級くらい、妹も最終的には1級を取得したと記憶しているほど算盤好きだったが、拙者に算盤塾に行けとは言わなかった。

 当時スーパーマンという海外ドラマで印象的な場面があった。コンピューターに問いかけると何でも答えてくれる。それを使ってスーパーマンをやっつけようとするのじゃが、結局は悪人は負けてコンピューターを使えるオペレーターは救出される。そのオペレーターが最後に、【コンピューターさん、スーパーマンの正体は誰ですか?】と問いかけると、コンピューターがカタカタと紙テープを吐く。それを読んだオペレーターが【それは誰にも教えられませんだって・・】といって肩をすくめる場面が番組のエンディングだった。アメリカ式のユーモアを初めて理解できた瞬間だったが、同時に、算盤は将来コンピュータに置き換えられるな・・とも思った。

 拙者は大学卒業後、コンピュータ会社の情報システム部に配属されたが、そこに算盤が備品として置いてあったのに驚いた記憶がある。もちろん電卓もあったが、コンピュータで取り扱う数字の検証をしようとすると、桁数が足りないことがあったので算盤を使っている人もいた。

 電光管の大型計算機で20桁というのも配備されていたが、重すぎて自席まで運ぶのが面倒だった。当時のコンピュターは計算方式によって誤差の積み重ねで下一桁が狂うことがあったので、どの計算方式をとれば誤差が少ないかなども【技法】として受け継がれていた。そうコンピュータのプログラミングにも職人技があった時代じゃ。当然拙者は【技法】に溺れた・・・・

 今回何十年かぶりに算盤を思い出したが、良く見ると工芸品としてなかなか良く出来ている。プラスティック製の珠では趣が無いが、柘植珠なんかだったらコレクションしてしまいそう。

 そういえば左頁上に掲載されている【むかしのそろばん】は小さいころ実家の二階にごろごろ置いてあった。家を立て替える時に全て処分したはずじゃが、とっておけばよかった・・・

 もし現在、算盤が盛んに使われているとしたら、チタン珠でルイジ・コラーニにデザインを委託した算盤なんてのが出ていたかも・・・20万円くらいなら工芸品として買う!

 また珠のすべるスピード調整とか、珠の大きさや形状、横の間隔なども使い手の手の大きさや好みに合わせて調整出来ると良いな。第一子供も大人も同じ算盤を使うというのもおかしい。小学生がNo.149を使うようなもの・・・

 ペン・クリニックならぬ算盤クリニック・・・
算盤は出来なくても、調整は出来たかも知れない。葉書も手紙も書かない拙者でもペンクリが出来るから・・・

【過去の記事】

2007-05-01 暮しの設計 No.117 1977年【世界の文房具】その3 
2007-04-24 暮しの設計 No.117 1977年【世界の文房具】vs【趣味の文具箱 Vol.7】 
2007-04-17 暮しの設計 No.117 1977年【世界の文房具】その1 


Posted by pelikan_1931 at 07:00│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 周辺Goods