2007年08月28日

Pelikan 125 Jahre Katalog その2

2007-08-28 左は1963年当時の工場と代理店が表示された地図。会社の規模の割に非常に多くの工場を持っていたことに驚いた!

 アルゼンチン、ブラジル、イタリア、メキシコ、オーストリー、スイス、スペイン、ベネズエラ

 え、独逸には工場はないの? と地図を見直すと太字二重丸で記載されている。本社を表す印であろう。工場を持っているかどうかは不明だが、100周年の社史には独逸工場が描かれていたので、工場が全て海外に移設されたとは思われない。

 それにしてもペリカンて設計は独逸でも製造は【ラテン】だったんだ・・・

 日本製家電製品の部品の多くが中国製というのと同じか・・・

 いったい何を独逸やスイス、オーストリーで作り、何をラテン系の国で作ったのかな? 

 いやいや当時の輸送コストを考えれば、南アメリカあたりでは全製品を作っていたかもしれない。

 それにPelikan 140や400NNあたりにはブラジルでしか作られなかった貴重モデルもあるという噂を聞いた・・・真偽のほどはあきらかではないがな・・・

 販売代理店はけっこう偏っている。日本には東京と沖縄(返還前)。台湾と上海付近にも代理店があるが香港には無い。グァム、ニュージーランドにもある。オーストラリアには代理店が5ヵ所もある。中南米にも多い。

 ところが北米には2ヵ所しかない。これはどうした事か?ペリカンは今でも米国では人気があまり高くないが、当時から代理店が無いに等しい。特に西海岸にはまったく代理店がない。

 これは異常!排斥されていたとしか思えない。

 100周年の社史に出ていたナチスドイツの旗を飾った写真に代表される問題が尾を引いていたのだろうか?

 当時のペリカンの主力商品はどうやらタイプライター・リボンカーボン紙で、万年筆ではない。

 もし主力商品が万年筆ならばパーカーシェーファーの牙城である米国本土に攻め込めないのはわかるが、タイプライター王国の米国に、タイプライター・リボンで切り込めないとは思われない。やはりなんらかの思惑が働いていたのではないだろうか。

 たった一枚の【工場&代理店配置図】でも、これほど想像をかき立ててくれる。歴史探索がこれほどおもしろいとは!

 高校生時代に歴史にまったく興味が持てなかったのは、年号暗記が歴史だと思っていたからであろう。教育は興味の持たせ方しだいじゃ。

 もし歴史の授業で、世界10大万年筆メーカーの創業からの歴史を一表にまとめなさい!なんていう授業が一度でもあったら、歴史も万年筆も早い時期から好きになっていたかも・・・


 この地図の一番の傑作は南北を示すマーク!中央にあるペリカンマークがカワイイ!


過去の【Pelikan 125 Jahre Katalog

2007-08-21 Pelikan 125 Jahre Katalog その1 



Posted by pelikan_1931 at 07:00│Comments(7) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 周辺Goods 
この記事へのコメント
才色兼備の紙(床)上手(^^;;;
毎日持ち歩いています。

入院同期だった妙齢のお嬢さんが万年筆に関心がありそうで、
色々試し書きして貰いながら、好みのタイプを絞り込み中。
45度から50度位の立て具合で、内向き握りの細字好み
OEFからOFが在ればドンピシャですが、
キャップレス軟中細あたりが丁度かと見立てています。
Posted by stylustip at 2007年08月28日 23:12
stylustipしゃん

人質交換した娘はいかがですかな?
Posted by pelikan_1931 at 2007年08月28日 22:43
Bromfieldしゃん

なんとUSAにはPelikan USAが無くなったのですな! 寂しい!
Posted by pelikan_1931 at 2007年08月28日 22:42
こまねずみしゃん

地図を詳細にトレースすれば香港かマカオのあたりのようですな!
Posted by pelikan_1931 at 2007年08月28日 22:41
収まるべき処に収まり、検証していただけて、冊子もきっと喜んでいると思います。
私の生まれ年のカタログです。
私の分身(^^;;と思って、思う存分使ってください。
以下私信
342のEFニブ(推定)を本日投函しました。
取り急ぎ
Posted by stylustip at 2007年08月28日 20:10
地図、大変興味深いです。1963年は私の生年でもありますし….。北米の二点のうち、一つはカナダのモントリオール。もう一つは、ボストンか、あるいはポーツマス(日露戦争の講和条約が調印された都市)あたりかと思います。

現在、カナダもアメリカも2002年にPelikan USAから業務を引き継いだChartPakというところが代理店をしているとのことです。(Pelikan直営ではなくなったのでしょうか。)

それよりも、革命後のキューバにも代理店があったのは驚きです。ひょっとして、少し時代はずれますが、彼の地でペリカンとヘミングウェーとの接点があったのかな、などと想像を膨らませています。
Posted by Bromfield at 2007年08月28日 12:05
 大陸の代理店の位置ですが、上海は点よりもかなり北になります。香港ではないとすると、当時ポルトガルの植民地だったマカオではないでしょうか。
 少なくとも、上海を含む中国共産党の実行統治区域内に支店はなかったのではないかと思います。1963年当時、大陸は文化大革命の最中で、おそらくペリカンの万年筆を持っていたら「西ドイツのスパイ」として「批判大会」で吊るし上げられ、「労働改造所」に送られて強制労働の末に殺されていたでしょう。
 当時の西ドイツは台湾を「中国」として国交を結んでいましたから、恐らく台北の支店が「中国支店」にされていたのではないかと推測できます。
Posted by こまねずみ at 2007年08月28日 11:27