2009年08月27日

【Pelikan Red Book】 その3

 8月30日(日)の萬年筆研究会【WAGNERの例会に、万年筆くらぶ【フェンテでべそ会長が参加することが確定した。

 萬年筆コレクターではなく、萬年筆愛好家コレクターとして有名なでべそ会長は、あの(口の悪い)古山画伯さえ賛辞を惜しまない人格者。

 高みに堕ちる以前に、深みにはまってもがく者、つまらぬ諍いを起こす者が多い萬年筆研究会【WAGNER】会員に、神が遣わした【】じゃ!

                                皆の者、悔い改めよ!


 もっともでべそ会長も、まだまだ高みに堕ちきってはいないと思われる。【4本のヘミングウェイ】のはずが、もっといっぱい(ヘミングウェイを)持っていたような気がする・・・

 でべそ会長来訪に備えて、拙者も既に期日前投票をすませてある。選挙権のある方は、投票してから萬年筆研究会【WAGNER】の例会に参加するのじゃぞ!


 九州地区からは、地元主催WAGNER九州大会11月28日(土)に実施することが決まったとの連絡が舞い込んできた。場所は先日の九州地区大会と同じくアクロス福で部屋は604会議室。

 九州地区以外の方も大歓迎とのことなので、奮って参加されたし!拙者も先ほど、飛行機とホテルの予約を終えた。前回は徹夜明けで参加したので、1次会で轟沈したが、今回は調整指導のみで、調整自体は(拙者は)やらないので気が楽じゃ。調整道具も持って行かないよぅ。

 ただし、WAGNER調整師予備軍が4名参加し、九州地区在住の認定調整師も参加するので、調整出来るキャパは非常に大きいのでご安心を!

 調整指導者として、関東地区の認定調整師参加も期待されているので、都合のつく方は参加されたし。

 お酒は絶品&逸品ぞろい! いわゆる限定品もありますぞ。


2009-08-27 012009-08-27 022009-08-27 03  今回紹介する頁は左の3枚じゃ。例によってattempto(1477番)しゃんが解読してくれるであろう。

 ギュンター・ヴァーグナーの肖像画は初めて目にしたように思う。写真では穏やかな顔をしていたが、肖像画ではかなり憂いを含んだ目をしているなぁ。

 当時の洋服は、現代から見るとずいぶんと体にピッタリしているように思える。これでは身動き出来ないのでは?まるでレクター博士が着せられた拘束着のようじゃ・・・。それに眼鏡に度がはいっていない・・・なんて肖像画に突っ込んでも意味無いか。

 下の工場の絵は、ハノーファーではなく、ウィーンの工場かと思われる。写真で見た本社工場よりはかなりコンパクトだからな。印象的なのは大きな煙突。街のあちこちに立っている。何のために煙突があるのか良くわからなかったのだが、萬年筆と科學で渡部氏が各社の工場を外から描いた図によって、これらは動力室である事がわかった。おそらくは石炭を焚いて得た動力で工場内のラインやオフィスに電力や熱を供給していたのではないかな?

 中央の絵の具の色チャートでは、左上の絵がおもしろい。絵を描いている女性に3人の子供がサポートしてるように見えるが、それがペリカン社のロゴ(親と4匹の子ペリカン)に似て無くもない。でも子供の数が3人と4匹で違うのでは?という疑問もわくが、実はギュンター・ヴァーグナー家の紋章は、もともと子ペリカンは3匹だったのじゃ。それは次回紹介しよう。


----------------------------------------------- 以下は独逸語に堪能な attempto(1477番)しゃんのコメントの転載じゃ!


さて、ギュンター・ヴァーグナーの肖像画のキャプションには、ヴァーグナーは、まだ53歳だった1895年には会社から身を引いて、趣味の哲学、音楽、美術に打ち込んだとあります。よほど成功したのか、それともこれが当時の企業人のあり方だったのか。いやはや。

工場については、ペリカン社史をネット上でちょっと確認してみました。ここに描かれている工場はやはりハノーファーのそれ、会社設立直後の1842年に建築されたEngelbosteler Dammの工場だそうです。

ただし、1899年に6000平米の新社屋を含む大増築が行なわれたにもかかわらず、すぐ手狭になってしまい、1906年に同じハノーファー市内のPodbielskistrasseに新工場を建設。師匠が見た写真の本社工場はたぶん、現在シェラトン・ホテルが立つこちらの方ですね。

個人的には、水彩絵の具色見本ポスターが掲載されたページを「なるほど」と思いつつ読みました。1898年にペリカン社が「4001」の名前で発売する、長期保存が可能な古典的ブルーブラックインクの説明が中心ですが、その関連で、国の役所で使われたインクの組成は、プロイセン王国内務省が指定し、素材検査局がチェックしていたと書かれています。これは初耳。



Posted by pelikan_1931 at 07:00│Comments(13) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 文献研究 
この記事へのコメント
たがみ たけし しゃん

九州大会は、まさに魔界じゃ。

その快楽を脳が覚えていて、一生あらがえなくなる・・・まるで覚○剤?
Posted by pelikan_1931 at 2009年08月29日 10:34
 今更ながら、よっく見ると書道用の墨作ってた時代もあったんですね〜。
こんな頃から、世界のインクメーカーを自負してたんですね。
Posted by 蓮覇@国産LOVER at 2009年08月29日 06:28
九州大会、アゲイン!ですか!前回の九州大会の濃さを体験した者としては非常に楽しみで、是非とも参加したいです!3ヶ月ほど先の話ですが、何とか参加できるように仕事の調整をしてみたいとおもっとります!
Posted by たがみ たけし at 2009年08月28日 22:10
1477しゃん

解説ありがとう!

さっそく本文に入れておきました。

Posted by pelikan_1931 at 2009年08月28日 11:30
ペコしゃん、monolith6 しゃん、takechanfavor しゃん

なんと、カルチャーショック!

どんどん体が大きくなっておった拙者にとっては、現在の体形にフィットする服を選ぶという発想がなかった!

使用人にパイプを慣れさせるとか、靴をなじませる役回りの仕事があるとは聞いた事がありますが、使用人に洋服をなじませるとは!

と、ここまで書いて、調整師にペン先を調整依頼するのも同じかも?と思いました。
Posted by pelikan_1931 at 2009年08月28日 11:29
とんこつ しゃん

ノックアウトブロックは、あと2個あったはず。11月の博多へお持ちします。
Posted by pelikan_1931 at 2009年08月28日 07:28
こんばんは。1477です。毎回、勉強させていただき、楽しんでいます。

洋服の件、なるほどです。ドイツ系に一般的な名字にシュナイダー(Schneider=仕立屋)てのがありますが、そのくらいごく普通に仕立屋がいたのでしょうね。

さて、ギュンター・ヴァーグナーの肖像画のキャプションには、ヴァーグナーは、まだ53歳だった1895年には会社から身を引いて、趣味の哲学、音楽、美術に打ち込んだとあります。よほど成功したのか、それともこれが当時の企業人のあり方だったのか。いやはや。

工場については、ペリカン社史をネット上でちょっと確認してみました。ここに描かれている工場はやはりハノーファーのそれ、会社設立直後の1842年に建築されたEngelbosteler Dammの工場だそうです。

ただし、1899年に6000平米の新社屋を含む大増築が行なわれたにもかかわらず、すぐ手狭になってしまい、1906年に同じハノーファー市内のPodbielskistrasseに新工場を建設。師匠が見た写真の本社工場はたぶん、現在シェラトン・ホテルが立つこちらの方ですね。

個人的には、水彩絵の具色見本ポスターが掲載されたページを「なるほど」と思いつつ読みました。1898年にペリカン社が「4001」の名前で発売する、長期保存が可能な古典的ブルーブラックインクの説明が中心ですが、その関連で、国の役所で使われたインクの組成は、プロイセン王国内務省が指定し、素材検査局がチェックしていたと書かれています。これは初耳。
Posted by 1477 at 2009年08月27日 23:55
手縫い仕立てのスーツ推奨派ですが、あくまでも素人ユーザーの感想はタイトな方が動きはし易いという実感があります。上着はアームホールを腕周りの寸法に近い方がダブダブの袖よりもはるかに動きが良いです。胸やウェストに至るまでも昔の人はタイトに作っていたようです。これは当時の流行りという理由が一番だと思いますが、実は、手縫いのスーツは2〜3年は硬さが取れず馴染むのに相応の時間が必要です。その硬さが取れた頃には最初の窮屈なタイト感が実に良いフィット感に変わるのです。パンツも同様です。がいずれにしても、動き易さのためにはタイトさの限度はあります。
余談ですが、昔の紳士のなかには仕立て服を硬さが取れるまで使用人に着用させたという人もいたそうです。
Posted by takechanfavor at 2009年08月27日 23:19
 ペコさんのコメントに同意です。

 昔の服は現在のものと比較すると、より体の線に沿っていた、立体仕上げだったためにそのように見えるのでしょう。ほんの25年ほど前までは、基本的にメンズ服はそうでした。

 それが崩されたのは、チェッカーズがオフ・ボディのダブダブの服を流行らせてから。それまできちんとしたテーラーが仕立てていた重衣料を、ジャンパーやTシャツを作るような軽衣料のメーカーまでもが手がけるようになり、仕立てがいい加減になった一方、価格は下落しました。そのため、良質な服を仕立てる技術が廃れ、更には国内よりも人件費の安い中国で仕立てられるようにもなり、価格は下がったものの更に仕立ては悪くなり、品質も下落しました。

 現在は再び、体にぴったりとしたシルエットのものが流行中ですが、これとて昔のものと比べるなら、現在のものは、単にピッチピチにタイトなだけで動きやすさという点では話にならないレベルです。おまけに昔のものなら、20年以上も着用に耐える生地と仕立てのものがありますが、現在のものは、せいぜい4年も着られれば御の字で、1シーズン着ただけでシルエットが崩れ、生地に腰がなくなり、すり切れ始めてしまうものばかり。

 変な懐古趣味ではありません。つくづく服飾に関しては、現代は不幸であり、昔は良かったとしか言えない状況です。
Posted by monolith6 at 2009年08月27日 11:08
はじめまして。WAGNERへの入会を窺いながらも逡巡し続けているものでございます。
「当時の洋服は、現代から見るとずいぶんと体にピッタリしているように思える。これでは身動き出来ないのでは?」
に、ついてでございますが、
当時は全て手縫いだったため、目に見えないぐらいの細かいギャザーが縫い目に与えてあり、身動きは格段にしやすかったと思われます。
例えば腕部分の型紙は一枚の布を筒状に縫うわけですが、後ろ側の端の方が数センチ長く裁断されていました。それを手縫いでぴたりと寸法を合わせて縫い付けるとひじの辺りに自然な膨らみが出来るのです。
昔のシャネルスーツなどはミシンで作ったら人間は着られないそうです。
上記の話は今でも部分的に手縫いで仕上げている仕立屋さんからの受け売りでございます。この仕立屋さんのスーツは2サイズダウンしても着用可能です。
長文失礼いたしました。お許しください。
Posted by ペコ at 2009年08月27日 09:52
どうしても、仕事で参加することができませぬ。
う〜む、残念。

>でべそ会長も、まだまだ高みに堕ちきってはいないと思われる。【4本のヘミングウェイ】のはずが、もっといっぱい(ヘミングウェイを)持っていたような気がする・・・

私もそのような気がします・・・
Posted by めだか at 2009年08月27日 09:27
ペリカンのお酒があったとわ!!
四角いからジンかな?

と思ったのは私だけではないはずです・・・(汗


>1次会で轟沈したが

ということは・・・
私も宿を確保せねば!!


>お酒は絶品&逸品ぞろい!

今度もアレか・・・それとも・・・(^^)


ノックアウトブロックが欲しいのですが、
どうしたらよろしいでしょうか?
Posted by とんこつ at 2009年08月27日 08:34
おはようございます。期日前投票は25日に済ませてきました。
後々まで残すのは、精神衛生上悪いので。

昨日、でべそ会長から買ったか貰ったかした革カバーを、加工しておりました。
…やはりプロの職人さんにゃ敵わねえなあ、と自分で自分を打ちのめしてしまった次第。こんなに手先が不器用だったのか…。
芸術品と言える手帳カバーとは程遠い、「画期的な形の何か」になりました。

でべそ会長、ごめんなさい。

Posted by 蓮覇@国産LOVER at 2009年08月27日 07:53