8月30日(日)の萬年筆研究会【WAGNER】の例会に、万年筆くらぶ【フェンテ】のでべそ会長が参加することが確定した。
萬年筆コレクターではなく、萬年筆愛好家コレクターとして有名なでべそ会長は、あの(口の悪い)古山画伯さえ賛辞を惜しまない人格者。
高みに堕ちる以前に、深みにはまってもがく者、つまらぬ諍いを起こす者が多い萬年筆研究会【WAGNER】会員に、神が遣わした【光】じゃ!
皆の者、悔い改めよ!
もっともでべそ会長も、まだまだ高みに堕ちきってはいないと思われる。【4本のヘミングウェイ】のはずが、もっといっぱい(ヘミングウェイを)持っていたような気がする・・・
でべそ会長来訪に備えて、拙者も既に期日前投票をすませてある。選挙権のある方は、投票してから萬年筆研究会【WAGNER】の例会に参加するのじゃぞ!
九州地区からは、地元主催のWAGNER九州大会を11月28日(土)に実施することが決まったとの連絡が舞い込んできた。場所は先日の九州地区大会と同じくアクロス福岡で部屋は604会議室。
九州地区以外の方も大歓迎とのことなので、奮って参加されたし!拙者も先ほど、飛行機とホテルの予約を終えた。前回は徹夜明けで参加したので、1次会で轟沈したが、今回は調整指導のみで、調整自体は(拙者は)やらないので気が楽じゃ。調整道具も持って行かないよぅ。
ただし、WAGNER調整師予備軍が4名参加し、九州地区在住の認定調整師も参加するので、調整出来るキャパは非常に大きいのでご安心を!
調整指導者として、関東地区の認定調整師の参加も期待されているので、都合のつく方は参加されたし。
お酒は絶品&逸品ぞろい! いわゆる限定品もありますぞ。
今回紹介する頁は左の3枚じゃ。例によってattempto(1477番)しゃんが解読してくれるであろう。
ギュンター・ヴァーグナーの肖像画は初めて目にしたように思う。写真では穏やかな顔をしていたが、肖像画ではかなり憂いを含んだ目をしているなぁ。
当時の洋服は、現代から見るとずいぶんと体にピッタリしているように思える。これでは身動き出来ないのでは?まるでレクター博士が着せられた拘束着のようじゃ・・・。それに眼鏡に度がはいっていない・・・なんて肖像画に突っ込んでも意味無いか。
下の工場の絵は、ハノーファーではなく、ウィーンの工場かと思われる。写真で見た本社工場よりはかなりコンパクトだからな。印象的なのは大きな煙突。街のあちこちに立っている。何のために煙突があるのか良くわからなかったのだが、萬年筆と科學で渡部氏が各社の工場を外から描いた図によって、これらは動力室である事がわかった。おそらくは石炭を焚いて得た動力で工場内のラインやオフィスに電力や熱を供給していたのではないかな?
中央の絵の具の色チャートでは、左上の絵がおもしろい。絵を描いている女性に3人の子供がサポートしてるように見えるが、それがペリカン社のロゴ(親と4匹の子ペリカン)に似て無くもない。でも子供の数が3人と4匹で違うのでは?という疑問もわくが、実はギュンター・ヴァーグナー家の紋章は、もともと子ペリカンは3匹だったのじゃ。それは次回紹介しよう。
----------------------------------------------- 以下は独逸語に堪能な attempto(1477番)しゃんのコメントの転載じゃ!
さて、ギュンター・ヴァーグナーの肖像画のキャプションには、ヴァーグナーは、まだ53歳だった1895年には会社から身を引いて、趣味の哲学、音楽、美術に打ち込んだとあります。よほど成功したのか、それともこれが当時の企業人のあり方だったのか。いやはや。
工場については、ペリカン社史をネット上でちょっと確認してみました。ここに描かれている工場はやはりハノーファーのそれ、会社設立直後の1842年に建築されたEngelbosteler Dammの工場だそうです。
ただし、1899年に6000平米の新社屋を含む大増築が行なわれたにもかかわらず、すぐ手狭になってしまい、1906年に同じハノーファー市内のPodbielskistrasseに新工場を建設。師匠が見た写真の本社工場はたぶん、現在シェラトン・ホテルが立つこちらの方ですね。
個人的には、水彩絵の具色見本ポスターが掲載されたページを「なるほど」と思いつつ読みました。1898年にペリカン社が「4001」の名前で発売する、長期保存が可能な古典的ブルーブラックインクの説明が中心ですが、その関連で、国の役所で使われたインクの組成は、プロイセン王国内務省が指定し、素材検査局がチェックしていたと書かれています。これは初耳。