2009年11月05日

【Pelikan Red Book】 その13

2009-11-05 012009-11-05 022009-11-05 03 今回は45頁から47頁。それにしても綺麗でカワイイポスターじゃ。

 歴史を紐解くと、ギュンター・ヴァーグナーの娘婿のフリッツ・ヴァインドルフの時代に、ポスターの展覧会を積極的に主催し、参加作品は後に商業ポスターの古典になったとか。

 また彼は、ペリカンの絵の具で描いた芸術作品の展覧会も企画し、買い上げた優秀作品は現代の膨大なペリカン・コレクションの一部をなしている・・・と文房具の研究のペリカンのコーナーに記載されている。

 以前紹介した不気味なポスターなどはその時に見いだされた物かもしれない。

 46頁の下で紹介されているのが、Pelikan P1-RG。Parker 51の大攻勢にさらされてPelikanもHooded Nib製品を出さざるを得なくなり、しぶしぶ?発売したモデル。

 カートリッジへの移行期に回転吸入式で出したためか、ほとんど売れなかったのではないかな?

 実は拙者は大好きなのだが、まったくといっていいほど人気がない。BBのペン先付きも頻繁にオークションを賑わしていた事があるのだが、どれも非常に安い値段で落札されていた。

 弱点は細軸のためか、回転吸入式の機構が壊れやすいこと。そして非常に修理しにくい構造になっている。

 拙者が【ペリカンの暗黒時代】と呼んでいるのは、P1の時代とMxxの時代。

 そのMxxは47頁に掲載されている。けっこうな本数が日本市場でも発売されたはず。

 またデュポンのクラシック・シリーズのベースにもなっていたので、みかける事は多いが、良い書き味のブツにめったに出会わない。また調整の巾が狭いので、調整していて面白くない。調整師からみても、Mxxの時代は暗黒時代なのじゃ。

 それにひきかえ、Pelikanoはペリカンの嘴をモチーフにしたクリップを残している。(画像は47頁の左上)

 もちろんスチール製のペン先だが、筆圧をかけて書く人にはちょうど良い。値段の割には良い・・という程度だがな。

 この【そこそこに良い】【Parker 51に追随】の2つが、往年のペリカンのブランドイメージに傷を付けたと拙者は考えている。

 MontblancはHooded Nib として2桁番シリーズを出したが、No.149もフラッグシップとして残しておいた。そしてHoodで被われている事ではなく、Parker 51とは違う独特の柔らかな書き味で圧倒した。悪かったのは素材の脆さだけ・・・

 PelikanはParker 51と同じような硬いペン先で勝負したが、ラウンドニブもどきだったため、書き味がParker 51よりかなり悪くなってしまった。機構も良く壊れる・・・これでは勝てるわけはない。早めに切り上げて400NNの復刻をしたのは正解じゃった!

 もし日本からの強烈なPushで往年のシリーズが復刻されなかったら、既にPelikanというブランドの萬年筆は消えていたかも知れない・・・・


解説文にはもっと面白いことが書かれていそう。attempto(1477番)しゃんに補足説明をお願いしたい。よろしくおねがいしま〜す!


☆☆ ここからがattempto(1477番)しゃんからのコメントから転記したものじゃ!

こんにちは。45頁はまず44頁の続きでボールペンから。1960年以降、ペリカンはボールペン用の芯の生産を開始し、46頁左上に構造図が示されているボールペン先は絶賛されたそうです。ボールペン用のインクも一時生産していましたが、これはまもなく中止。万年筆用には新しいインク供給機構を開発し(46頁右上写真)、1958年発売のP1に投入。さらに、140を単に簡素にしただけの120に代えて、教育学者との協力で学校向けのペリカーノを1960年に開発。
さて、ボールペンの普及でインク事業は打撃を受け、学校・オフィス向けの5、10、25リットル入り(樽?)は出荷を停止。インク事業の復活はカートリッジの登場のおかげで、1961年にはペリカーノを土台に大人向けとしてP25、P15モデル、1965年にP20、P30モデルを発売(吸入式としてM20、M30を用意)。ところが、生徒向けに好評を博したカラフルなカートリッジ式万年筆は、一般市場には受け入れられませんでした。にもかかわらず、ペリカン社は1965年に400シリーズの製造を停止し、機材も破棄。以後ペリカーノ事業に集中するものの、モダンなペンを得意とするラミー社の登場で、万年筆市場における地位はさらに低下。400モデルの人気は1973年から78年に日本向けに再発売されたことにも明らかでしたが、すでにペリカン社は必要な製造機材を持っておらず、別会社に生産を委託せざるをえなかったのです・・・まさに「暗黒時代」ですね。


Posted by pelikan_1931 at 07:00│Comments(6) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック カタログ紹介 
この記事へのコメント
とらしゃん

萬年筆専業メーカーなら持っていなかっただろうが、総合文具メーカーだったからこそ会社を維持出来たのだろう。倒産の危機はもう少し後だったはずじゃ。
Posted by pelikan_1931 at 2009年11月06日 06:21
ユニ坊主 しゃん

インクフローは驚くほど良いので、筆圧が下がり、結構書き味も良かったはずじゃ。

ピストン機構などの動きが多少ぎこちなかったがな。

当時は金無垢、金鍍金とも秘奥にステータスが高く、当然、値段も高かった。本当に高かった。今では信じられないほどに。
Posted by pelikan_1931 at 2009年11月06日 06:19
attempto しゃん

いつもありがとしゃん! 本文に反映させておきました。
Posted by pelikan_1931 at 2009年11月06日 06:14
attemptoさん 毎回通訳ありがとうございます!

暗黒時代といえども、この状況下で万年筆を取り扱い続けたということはやはり愛があったからでは! と推測してみます。
Posted by とら at 2009年11月05日 21:59
このペリカンの万年筆はなつかしいですね。
左から3番目のやつは高校の時に買ってもらったけど落としてなくしました。
この書き味が気にいってて大学の時に一番左のやつを買ってもらいました。
当時、モンブラン149より高かったから大事にしました。
これが僕の持ってる万年筆のなかでは一番書き味がすきですね。
Posted by ユニ坊主 at 2009年11月05日 20:05
こんにちは。45頁はまず44頁の続きでボールペンから。1960年以降、ペリカンはボールペン用の芯の生産を開始し、46頁左上に構造図が示されているボールペン先は絶賛されたそうです。ボールペン用のインクも一時生産していましたが、これはまもなく中止。万年筆用には新しいインク供給機構を開発し(46頁右上写真)、1958年発売のP1に投入。さらに、140を単に簡素にしただけの120に代えて、教育学者との協力で学校向けのペリカーノを1960年に開発。
さて、ボールペンの普及でインク事業は打撃を受け、学校・オフィス向けの5、10、25リットル入り(樽?)は出荷を停止。インク事業の復活はカートリッジの登場のおかげで、1961年にはペリカーノを土台に大人向けとしてP25、P15モデル、1965年にP20、P30モデルを発売(吸入式としてM20、M30を用意)。ところが、生徒向けに好評を博したカラフルなカートリッジ式万年筆は、一般市場には受け入れられませんでした。にもかかわらず、ペリカン社は1965年に400シリーズの製造を停止し、機材も破棄。以後ペリカーノ事業に集中するものの、モダンなペンを得意とするラミー社の登場で、万年筆市場における地位はさらに低下。400モデルの人気は1973年から78年に日本向けに再発売されたことにも明らかでしたが、すでにペリカン社は必要な製造機材を持っておらず、別会社に生産を委託せざるをえなかったのです・・・まさに「暗黒時代」ですね。
Posted by attempto (1477です) at 2009年11月05日 13:11