2009年11月26日

【Pelikan Red Book】 その16

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 前回1枚だけ紹介した54頁と今回紹介する55〜60頁のあわせて7頁もがGehaに割かれている。なぜPelikan以外の会社に、ここまで頁を割くのか?

 Gehaの設立は1918年で、学生向けのペンとインク・リザーブタンク方式で有名。5〜6年前に独逸の友人からGehaのカートリッジを譲ってもらった事があるので、1990年近くまで存続していたのではないかと考えている。

 Gehaの本社はPelikan社と同じ町の同じとおり沿いにあったらしい。(昔、フリッツしゃんから聞いた話のはずだが、間違って記憶しているかもしれない)。事業内容もPelikanと重複している部分が多く、萬年筆の仕組みもなんとなく似ておる。

 良くも悪くも、Pelikanのコピーブランドと言われ、GehaはPelikanを目標とし、PelikanにとってはGehaは目の上のたんこぶだったかもしれない。

 最終的にはGehaはPelikan傘下に入った。Pelikanにとってはライバルを消滅させる手だてだったのかもしれないし、特許を入手する手段だったのかも知れない。

 拙者が一番欲しいのが57頁にある手回しコピー機。こういう無駄のない工業製品には無性に惹かれる。手作りの一品物よりも、マイナーな工業製品好きの拙者はコレにやられた!ほ、欲しい!(すぐに飽きるだろうが・・・)

 しかし、本当に手回しなのか?実は電動式で、ジャムった時に紙を送り出す手段としてハンドルがあるのではないか?いやいやそうなら、ハンドルは収納できるように設計するはずだ。ローライフレックスの巻き上げレバーのように・・・

ここはどうしても、attempto(1477番)しゃんに補足説明をお願いしたい。よろしくおねがいしま〜す!



☆☆ ここからがattempto(1477番)しゃんからのコメントから転記したものじゃ!


 こんにちは。Geha万年筆については57頁で一段落が割かれているだけです。内容は、1989年にペリカン・ホールディングに身売りし、今日ではペリカン社がもつ商標の一つに過ぎない(59頁)、かつての「地元のライバル Geha」(表題)の盛衰。ペリカン社の一部になった以上、Gehaの歴史も社史の一部であると言うことでしょうね。
55頁写真中央交差点角にある建物の一階にあったのが、1918年にGehaを創立したハルトマン兄弟(Gebrueder Hartmann。社名はその省略)の書店。二階に通販部があり、国外への通販によって第一次世界大戦後のインフレを乗り切った同社は1920年に簡単な文具の製造に進出。1921年から郵便小切手控え帳に掲載した宣伝の効果もあって知名度を上げ、1925年にペリカン社も工場を置いていたハノーファーのポドビールスキ通りに社屋を建設。1931年には「Geha Rotary」という複写機の製造を開始している(56頁上のレターヘッドについた図版は1933年当時の工場)。
戦後、イギリス軍の軍政司令部として利用されていた本社社屋を1949年に取り戻し、翌年からリザーブタンクを備えた万年筆を発売する。60、70年代の学級はGeha派とPelikan派に分かれ、この章の筆者はギムナジウムを終えるまでGeha派――ただの好みの問題だけではなく、曰く、リザーブタンク付き万年筆用のGehaインクカートリッジはペリカーノにも使えた一方、逆は不可能だったのがその理由だったと。

 経済復興とともに成長したGeha社の業績が下降に転じたのは1970年代。まず、第一次オイルショックの影響。次いで、小売り形態が変化し、消費者市場の拡大でこれまでの専門店での定価維持が困難になったこと。最後に、オフィスマシンの分野で方向が定まらなかったことが決定打になった。
カーボン紙や謄写版などのメーカーとしてGeha社はコピー機の登場に即応できず、むしろ古くからの技術に固執した(57頁の写真は、1969年に発売され、当時のグッドデザイン賞を獲得した謄写版印刷機)。70年代中頃にもまだタイプライター用インクリボンの売り上げ拡大を目指していたが、タイプライターの時代はパソコンの登場で終焉する(58頁下の写真はタイプライター用カーボン紙の包装。タイプを打つのはもちろん女性秘書)。
こうして70年代半ばから業績は悪化し、1986年に創業者一家は業務をアメリカ企業に譲渡。業績は好転せず、Geha社は1989年にあらためてペリカン・ホールディングに売却される。当時の新聞は、Gehaの首脳陣はコピー機やレーザープリンターの時代に対応することを怠ったと指摘している。ペリカン社への統合後もGeha社はOHPやシュレッダーの製造を続けたものの、90年代半ばには工場は解体もしくは別の用途に転用され、Gehaの歴史は幕を閉じた。

なお、58頁上の写真は、1975年当時のARD(ドイツの第一国営放送)の子供番組キャラクター(ウサギのシーザーくん?)を使った万年筆の宣伝。エルゴノミック・デザインの流行でグリップの形状だけが取り上げられ、本来の強みであったリザーブタンク機構は言及すらされなくなってしまっているのこと。
写真のキャプションによると、ほとんどがハノーファー歴史博物館の所蔵品らしく、謄写版印刷機やカーボン紙の包装といった工業製品までコレクションしているのが驚きです。


Posted by pelikan_1931 at 07:00│Comments(4) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック カタログ紹介 
この記事へのコメント
attempto しゃん

反映が遅れて申し訳ない。

gaheに関しては詳しい資料がほとんどないので、非常に助かった!ありがとしゃん!
Posted by pelikan_1931 at 2009年11月30日 15:54
なお、58頁上の写真は、1975年当時のARD(ドイツの第一国営放送)の子供番組キャラクター(ウサギのシーザーくん?)を使った万年筆の宣伝。エルゴノミック・デザインの流行でグリップの形状だけが取り上げられ、本来の強みであったリザーブタンク機構は言及すらされなくなってしまっているのこと。
写真のキャプションによると、ほとんどがハノーファー歴史博物館の所蔵品らしく、謄写版印刷機やカーボン紙の包装といった工業製品までコレクションしているのが驚きです。
Posted by attempto at 2009年11月26日 15:01
(つづき)経済復興とともに成長したGeha社の業績が下降に転じたのは1970年代。まず、第一次オイルショックの影響。次いで、小売り形態が変化し、消費者市場の拡大でこれまでの専門店での定価維持が困難になったこと。最後に、オフィスマシンの分野で方向が定まらなかったことが決定打になった。
カーボン紙や謄写版などのメーカーとしてGeha社はコピー機の登場に即応できず、むしろ古くからの技術に固執した(57頁の写真は、1969年に発売され、当時のグッドデザイン賞を獲得した謄写版印刷機)。70年代中頃にもまだタイプライター用インクリボンの売り上げ拡大を目指していたが、タイプライターの時代はパソコンの登場で終焉する(58頁下の写真はタイプライター用カーボン紙の包装。タイプを打つのはもちろん女性秘書)。
こうして70年代半ばから業績は悪化し、1986年に創業者一家は業務をアメリカ企業に譲渡。業績は好転せず、Geha社は1989年にあらためてペリカン・ホールディングに売却される。当時の新聞は、Gehaの首脳陣はコピー機やレーザープリンターの時代に対応することを怠ったと指摘している。ペリカン社への統合後もGeha社はOHPやシュレッダーの製造を続けたものの、90年代半ばには工場は解体もしくは別の用途に転用され、Gehaの歴史は幕を閉じた。
Posted by attempto at 2009年11月26日 14:50
こんにちは。Geha万年筆については57頁で一段落が割かれているだけです。内容は、1989年にペリカン・ホールディングに身売りし、今日ではペリカン社がもつ商標の一つに過ぎない(59頁)、かつての「地元のライバル Geha」(表題)の盛衰。ペリカン社の一部になった以上、Gehaの歴史も社史の一部であると言うことでしょうね。
55頁写真中央交差点角にある建物の一階にあったのが、1918年にGehaを創立したハルトマン兄弟(Gebrueder Hartmann。社名はその省略)の書店。二階に通販部があり、国外への通販によって第一次世界大戦後のインフレを乗り切った同社は1920年に簡単な文具の製造に進出。1921年から郵便小切手控え帳に掲載した宣伝の効果もあって知名度を上げ、1925年にペリカン社も工場を置いていたハノーファーのポドビールスキ通りに社屋を建設。1931年には「Geha Rotary」という複写機の製造を開始している(56頁上のレターヘッドについた図版は1933年当時の工場)。
戦後、イギリス軍の軍政司令部として利用されていた本社社屋を1949年に取り戻し、翌年からリザーブタンクを備えた万年筆を発売する。60、70年代の学級はGeha派とPelikan派に分かれ、この章の筆者はギムナジウムを終えるまでGeha派――ただの好みの問題だけではなく、曰く、リザーブタンク付き万年筆用のGehaインクカートリッジはペリカーノにも使えた一方、逆は不可能だったのがその理由だったと。(つづく)
Posted by attempto at 2009年11月26日 14:22