2020年01月17日

25年前の1月17日は・・・

今から25年前の1月17日(火)内股の上部に出来た腫れのために歩くのもままならない状態だったが、午前5時30分には東京駅八重洲口新幹線乗り場の前にいた。

はっきりとは覚えていないが、脂汗を流しながらタクシーで横になって東京駅まで行ったのだと思う。

当日は拙者が立ち上げた研究会の分科会が午後から大阪であり、少し早く行って会場のセットアップを手伝おうかと考えていた。

会場は各企業持ち回りで、その回は関西のIT企業が会場提供者だった。

ところが、5時55分になっても改札が開かない。改札にいたJRの人に聞いたところ・・・

〔よくわからないんですが、京都の方で地震があって新幹線は止まってます。いつ動き出すかは未定です。ひょっとすると1日運休するかもしれません〕との事であった。

困ったなぁ・・・とは思いつつ、行かなくて良いなら病院へ行く時間が取れると少しホッとした。

2週間後にある事業部門のシステムがカット−バー予定で、拙者はプロジェクトマネージャーではないが、開発責任者(プロマネの上司)。

多忙で病院へ行けないまま痛みをこらえて出勤していたのじゃ。

当時は50ccのバイク通勤だったが内股の痛みでバイクどころではなく、毎日タクシーで横になって通勤していた。

会社でも座ると痛いので、進捗会議は立ってるか、椅子を並べて寝てやる状態。

そそくさと家に帰ってTVを見てびっくり!呆然とした。もし前日の月曜日に行っていたら帰って来れなかっただろう。

通常は研究会は朝からやるので、前泊が原則だったのだが、拙者の体調を話して午後開催にしてもらっていたのじゃ。

TVニュースを見ているうちに痛みが我慢できなくなったので、近くの総合病院へ足を引きずりながら行き、外科に見てもらった。

先生は内股を見るなり、〔あ、痔瘻だ、切ろう!〕と簡単におっしゃる。

〔入院の必要ありますか?ここ数週間は多忙で休めないんですけど・・・〕

〔膿を出せば嘘のように痛みが引くから切った方が良いよ。それに2週間以内に爆発して洗面器いっぱいくらい膿が出るよ!〕なんて脅かされて落ちた。

〔では午後改めてきますので手術お願いします。入院中お見舞いが来る可能性があるので、個室にして下さい〕といってその日に手術した。

当時の体重は95kgほどもあったので、拙者を手術台に載せるのに苦労されていた。

会社に電話して、病名が恥ずかしいので絶対に病名は言わないこと、病院名も伏せておくことと伝えていたのだが・・・

入院3日目には、取引先の社長さん(ソフトハウス)が、笑いをかみ殺すような顔でおいでになった(気のせいかも)

退院して会社に行くと、システムは何のトラブルも無くスムーズにカットオーバーしていた。会社始まって以来だとか。

たこ吉さんが苦難をみんな引き受けてくれたおかげです〕とプロマネの女性課長からお礼を言われたが、どうしても笑いをかみ殺しているような気がしてしようがなかった。

数ある病気の中で、最も人を愉快にする病気ではないかなぁ、痔瘻は。

つきみそうさんもこの病気のおかげで気難しい方と友人になれたとか。まぁ、仲間意識が最も強い病気であることは間違いない!

入院は2週間、入院費用は(保険適用で)25万円ほどだったが、1年後に再発!

その時は会社は変わっていたので会社近くの保険がきかない肛門外科の専門病院にかかったのだが・・・

費用は3万円ほどで、日帰り!そしてその後は再発していない。

やっぱりメインが外科の総合病院の先生よりも、親の代から肛門科の専門病院の方が良いのだな・・・と痛感した。

2020-01-17退院してすぐに、会社として募金をするためのバザーが企画された。その時は日本全国でそういう企画が無数に立ち上がっていたはずだ。

萬年筆研究会【WAGNER】のじゃんけん大会と違い、色々な分野の逸品が格安で大会議室に集まり大盛況だった。

拙者が出したのはヘミングウェイ(調整済み、中古)2本。ペン先はFとMで、価格は1本5,000円。

普通なら万年筆なんて興味を示す人はあまりいなかった時代だが、そこは出版社。物書きが多かったので話題になったようだ。

ある常務は役員会をサボって行列に並び、みごとヘミングウェイをゲット!あとで常務室に呼ばれ、調整もお願いされた。

偽悪者で超口の悪い常務だったが、書き味は褒めてくれた。〔仕事もこれくらい本気でやっりゃ良いけど、まぁ・・・それはあんたには似合わないな。まぁ、マイペースでやんな

バブル崩壊のまっただ中だったが、災害が日本人の心を一つにしてくれたような気がする。2度と日本人の心を一つにしてくれるような災害が起こらないことを祈る。


Posted by pelikan_1931 at 12:34│Comments(3) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
この記事へのコメント
私も吹田市であの時は思わず「なんだこれは?」と叫んでしまいまさした。揺れが長かったから。
一昨年もびっくり。
幸い食器棚や書架が倒れただけですみましたが。
自然の前に人は無力です。だからこそ、謙虚にならなければならないのだと思います。
Posted by うっちゃん at 2020年01月19日 00:23
おはようございます、お師匠様。
当時は大阪府北部にある吹田市民でした。震度6強、上下の揺れというものを生まれて初めて体験しました。食器と炊飯器と電子レンジが床に落ちて全損、タンスの引き出しが東西方向に半分くらい飛び出していました。
3年後に自宅を新築した際、耐震自動ロック付きの水屋を造り付けで特注した甲斐あって、一昨年6月の大阪北部地震では無傷でした。
Posted by Lady P Love at 2020年01月18日 09:12
万年筆で遊んでいられるくらいの世の中が丁度良いと思います。その名のついたモデルが以前ありましたが、私にとっても「平和の象徴」です。
Posted by すいどう at 2020年01月17日 16:20