2020年10月12日

懐かしい資料が出てきた・・・

@01週刊現代の特集記事で、〔65歳から、ぜんぶやめてみる〕ことの中に、同窓会というのがあった。

そうだよなぁ〜と同意していると、同窓会報が送られてきた。昔のお弁当がテーマ。

拙者は1971年卒業なので、このようなアルマイトの弁当箱ではなかった。

新しもの好きの母が買ってくれた初期のランチジャーを自転車に引っかけて3年間通学した。

弁当はとっとと食べ終わって午後の授業の予習をしておかないとついて行けないのでご飯が熱いランチジャーは困りものだった。

しかし16〜18歳なので、食欲は旺盛。とてもお弁当だけでは足りない。


@02そこで3時間目と4時間目の間にうどん場(記事ではうどん小屋)に男子も女子も全力疾走で駆け込んだ。

10分間の間に30円のうどんを2杯食べるのが男子で、1杯が女子。

具はネギとチクワの天ぷらだけ。ちくわがなくなるとかまぼこの天ぷらに変わる。

ただし、3時間目と4時間目の間は絶対にちくわにありつけた。

今で言う学食だが、うどんしかないので、うどん場(じょう)と呼んでいた。さすがに3年生の時には行かなかったような気がする。

拙者が今でもノリ弁が一番好きなのは、このうどんに乗っていたちくわの思い出があるからだろう。

出汁がとってもおいしかった。いまだ、これ以上においしいうどんに出会ったことは無い。もちろん口がどんどん肥えているからなのだがな。


@03ことしは、ルービックキューブが日本に導入されてからちょうど40年に当たるらしい。

拙者は日本上陸前に解法を編み出していた。

海外出張の友人に2個買ってきてもらい、一週間ほどかけて解法を見つけたのじゃ。

当然、入手した日から休暇を取得した。〔これが解けたら出社しまーす〕が通じた、良い時代、良い会社だった。

たまたま、連休と代休を組み合わせて9連休を申請したのだが、7日目に何度でも解けるようになった。


@05@04当時はパソコンが無かったので、色鉛筆で解法を書きながら解き、それを清書して他の人に解法を教えた。

誰の手助けも得ないで解法を見つけたので、いったん出来てからの進歩が遅かったなぁ・・・

ツクダが発売開始した時には既に解法集は作っていた。

そこで、キュービスト登録しますという記事を読んでから、解法集とともに送って認定を受けた。

聞くところによると、出来たと言えば解法集が無くても認定されたらしいけど、それは悲しいよねぇ〜。


当時のキューブは赤の裏がオレンジ、青の裏が白、緑の裏が黄色だったが、現在では色配置が変わっているので、昔の記憶でやってる拙者はスピードが出ない。

今の世界記録は10秒を軽々と切っているが。拙者の時代は20秒台を出せるのは日本に2人しかいなかったはず。

拙者は一回の最高タイムは22秒、10回平均で31秒だった。27歳の時。

大会(1981年)に出たのは、大半が高校生だった。この時、拙者28歳。ちなみに親方は16歳(高校生)で、大会には出なかったが1人で解法を見つけたそうです。


@06@07右端は本日作ってみた長い軸の万年筆!

真鍮古美仕上万年筆のお尻に、秋の泉筆五宝展2020記念万年筆のキャップを接着したもの。

秋の泉筆五宝展2020記念万年筆の尻にキャップを挿すと、右端の軸よりは長くなるのだが・・・

キャップ無しでの長さは圧倒的に長い。そして樹脂軸なのでさほど重くない。(真鍮と比べればだがな)

真鍮古美仕上万年筆のキャップをマットの黒ラッカーで塗装したので、どちらが首軸かはひと目でわかる。

高校の時からエレクトロ・パズルや知恵の輪に凝り、インベーダーやヘッドオンに凝り、仕上げはルービックキューブ。

これで終わるはずだった。それ以降、TVゲームやテトリスの類いには一切興味が無かった。

だが、1984年ごろから万年筆に嵌まってしまった・・・

絶対にインク沼には嵌まらないが、〔万年筆の高みに堕ちる〕のは早かったなぁ・・・

ちょうど、ルービックキューブが下火になりマイナーゲームになり始めたころじゃな。

全盛期はコンスタントに1分以内で解ければ年齢を問わすスターだったのにな・・・


Posted by pelikan_1931 at 23:59│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック