2010年当時のソウルには儒教精神が強く残っていた。拙者より12歳年上のN御大がバスに乗ると、男子学生も女子学生も椅子から飛び上がって席を譲ってくれた。
また地下鉄の中ではおじいさん2人がもみ合ってた。どちらが年上かで揉めて相手を座らせようとしている。
しかもお互いに初対面らしい会話だと韓国語が堪能な友人が教えてくれた。譲り合いで揉めるなんてなぁ〜とえらく感心した記憶がある。
地下鉄の車両内ではスマホを販売している人はいたし、日本語放送は無かった。
その後、毎年1〜2回はソウルに行っていたが、その後5年ほどで様変わりした。
車内のスマホ販売員はいなくなり、日本語の駅名案内が主たる乗換駅ではやってくれるようになった。
もっとも〔次は ○▲X□◇ です〕という案内なのでちっともわからなかった。
そして若者はヘッドホンをしたままスマホで音楽を聴いており、年長者に席を譲る人などひとりも見かけなかった。
ああ、文化は凄い勢いで変化するんだなぁ〜とすこし残念に思った。
2010年10月9日の午後は、PenHood 5名 + WAGNER 5名で昼食を食べに行った。Parker 51氏の配慮で地元ソウルでも、観光客がまず来ない地元の食堂。
通りからクネクネとした道を入った民家の門を入ると板張りの接客スペースにテーブルが置いてあるというたたずまい。
納豆チゲが美味とのことで、それをいただくことにした。
門を入ると同時に強烈な臭いに圧倒されたが、幸いにも鼻は直ぐに麻痺する。困ったのは板張りに直接座ること。
拙者の場合、幼少のころより正座も出来ないし、あぐらもかけない。仕方ないので足を伸ばして壁にもたれかかるようにして座したのだが一つ問題があった。
韓国では器を手でもって食べるのは失礼な行為。必ず器はテーブルにおいたままいただくのがルール。
拙者の場合背中を壁に押しつけた状態でしか食べられないので、どうしても箸やスプーンで50センチほど食物を移動して口に入れることになる。
必然的にズボンの上にこぼすことになり・・・ワヤ(岡山弁)になった。
しかし納豆チゲは絶妙に美味!豆腐も手作り豆腐のような食感。納豆も通常の納豆をさらに発酵させてあるようで、匂いは強烈だが味も絶品。
また付け合わせのキムチもおいしかった。
意外にもPenHoodの方々はそれほどキムチに執着はしていないのか箸が進まない。
結局拙者のテーブルでは拙者だけが延々とキムチを追加注文。日本でカクテキと呼んでいるものもキムチの一種だとか!
通常時1個80円くらいの白菜が1000円を超える値段になっている韓国で、キムチはどないするんやろろう?
と興味津々だったが、今回食べたキムチ(白菜漬け)では白菜のかわりにレタスが使われていたがこれまた美味!
クワイを甘く煮たものに添えられていた青唐辛子を、それと知らずに食べたら飛び上がるほど辛かった!
となりのN御大が【これはおいしいねぇ・・】と言いながらパクパク食べていたのには脱帽!
そこから歩いて韓国パイロットのショールーム(というか販売店)に行く途中で女王様が韓国風タイ焼きの屋台にダッシュし何匹か買ってきた。
【たったいま食い終わったばかりだろう!】という突っ込みにも負けず甘い物は別腹とばかりにパクついていた。
尻尾の部分を少しいただいたのだが、焼きというより揚げという感じ。ただあんこは甘過ぎず良い案配だった。けっこうジャンクフードの屋台が多いのもソウルの特徴か?
そういえば綿菓子の屋台もあった。日本ではお祭りくらいでしかお目にかからないが・・・
こちらが韓国パイロットのショールームというか販売店。ただめぼしい物はほとんどが展示品!ジュサブローの漆軸などが当時の韓国価格で展示されていた。
地元に詳しいとの話では、瓶インクなどもまったく補充されておらず、あまり商売熱心な感じはしないとか。
展示品はすばらしいのに、販売すべき高級品がほとんど無い・・・という寂しい状態だった。
なにやらPenHood側でおもしろい企画を用意しているらしく、ソウル市内の山頂へバスと徒歩で上っていった。行きついたのはTV搭を兼ねた展望台のある丘の頂上。
まず目についたのはくまさん(仮名)を巨大化させたようなシベリアンハスキーと思われる犬。
飼い主の言うことを聞かず、へたり込んで飼い主を困らせている様子がおかしかった。
それにしても町中では犬や猫の姿をほとんど見なかった。やはり韓国でも室内犬/猫中心なのかもしれない。
そしていよいよPenHoodの目論見が披露された!それは・・・