このBlogのPelikan 社屋は、現在はシェラトン・ホテルになっているのではないかなぁ?
さほど宿泊料が高価なホテルではなかったので、一度は行ってみたいなぁ〜と考えていたことがある。
ただ、数年前にベルギーに行った時の経験では、飛行時間が長すぎてじじいにはきついなぁ〜。
いずれにせよコロナが世界的に克服されなければ夢のまた夢。
それにしても左端の画像のボールペンは全て欲しい!
1980年に発行されたこのカタログの最後は、ボールペンとその他アクセサリーの頁。
左上の頁には比較的安価なボールペンが掲載されているが、なかなか面白い。
左3本は女性用のボールペンで、細いNo.37Fというレフィルを使うもの。
現在Pelikanでは、このレフィルは発売中止になったが、似た形状の他社ものを流用することは出来る。アウロラ・テッシー用なんかは候補の筆頭!
太ささえ合致すれば、あとはパテで加工は出来るのでなんとかなるもの。
K478というボールペンを見て驚いた。当時Dunhillから発売されていたボールペンにそっくり!
PelikanがDunhill製品をOEMで作っていたはずはないので、おそらくは当時流行のフォルムだったのだろう。
一番右端のK2なんてMontblancのボールピックスのパクリとしか思えない形状。
当時はデザイン的な模倣にかなりおおらかだったのかもしれない。
4色ボールペンも紹介されているが、海外高級ブランド物の4色ボールペンはどれもレフィルの色が冴えない。特に緑色は薄くて使えない。
比較的マシなのはLamyで、これはMontblancやロットリングにも使える。ただ、日本製の安いプラスティック製の4色ボールペンの右に出る物は無かろう。
昔は良く利用したものだが、最近まったく利用しないなぁ。
上図の右2頁はアクセサリー紹介じゃ。なんとファウントインディア【No.78】が通常のボトルで販売されている。
拙者が買い始めたころには、既にスポイド付の小さなプラスティック・ボトルに変わっていた。
当初は重宝したものだが、リソー・カーボンインクやプラチナ・カーボンインクと比較すると色も薄いし、色落ちもする。
さらには凝固特性がはるかに悪いので使うのを止めた。
どのカーボンインクが良いかの判断基準は、拙者の場合、グラフ用紙に書いてみることにしている。
薄いブルーの線の上にも黒い線が乗っていればOKで、線の上でインクがはじかれていればNO! じゃ。お試しあれ。
よくカーボンインクでペン芯が詰まる事を恐れる人がいるが、カーボンインクはブルーブラックよりは安全。
カーボンはロットリング・洗浄液で見事に溶けるが、一端固まったブルーブラックには、分解してからゴリゴリと針でペン芯の溝を掃除するしかない。
カーボンインクは日常使用する限り問題は無い。万一にそなえてロットリングの洗浄液を備えておけばよい。これは通販でいくらでも入手出来るので安心じゃ。
イラストによるペリカン本社と、1980年当時の本社・工場の写真が掲載されていたので、その部分を拡大してみた。
パイロットの【萬年筆と科学】には、このPelikan本社の図解があり、そのなかに以前紹介したペリカン池がどこにあったかが示されている。
それによれば、正面入り口を入ってすぐ右側にあったらしい。ちなみにその図解は落丁部分に書かれていたらしい。
Pelikanの歴史の真実を、パイロット発行の書物で、しかも、落丁部分で知ろうとは思わなかった! 298しゃん、調査ありがと!
こちらが背表紙で、ここから7枚が【Story of Pelikan】じゃ。書かれている文体はすばらしいが、内容は嘘八百!
【ペリカン万年筆が日本に初めて輸入されたのは明治30年のことです】と書かれている。
おそらくはPelikanとPelicanを間違えたのじゃな。明治30年の時点ではPelikan社は、まだ万年筆を製造していなかったからな・・・・
実は、このStory of Pelikanには、1980年当時の本社にも本物のペリカンが飼われていた事が記載されている。
曰く、【正門を入ると右手の方に、ホンモノの大きなペリカンが二羽、愛嬌ある仕草で悠々と遊んでいます】とか。
【万年筆と科学】に記載されていた場所と同じようじゃな。40年が経過しても同じ場所というのは恐れ入った!
ただ、以前紹介した社史ではペリカンは4羽写っていた。1980年の段階では2羽・・・・どうやらPelikanのロゴの子ペリカンの数と整合性をとっているのじゃな。
とすれば現在でも池があればペリカンは一匹のはず。誰か確認して欲しいものじゃ。