2022年07月16日

〔Pelikan 社史 と 闘病日記 その2〕アーカイブ 2006年3月19日

この記事は、会場設営中に脚立から落下して右足関節内骨折して松葉杖状態でペントレを行った際のBlog。

当時は白金台にあった画廊〔はんなび〕を借りての実施だった。せいぜい60屬らいのスペースに最大で70人もの人が入れば身動きtレ無いのは当たり前。

当時はペントレは年に一回、しかも全国でもVintageを扱うアマチュアの催しは一回だけということで大混乱だった。

ペントレを始めたのは2001年で萬年筆研究会【WAGNER】を始めたのは2005年。すなわちペントレの方が歴史が長い。

拙者がaurora_88さんと初めて5分以上の会話をしたのもペントレだった。もちろん正体は知らなかった・・・

骨折した日に会場設営を会社を休んで手伝ってくれていたのはaurora_88さんと、298さん。

彼らが助け起こしてくれなければ萬年筆研究会【WAGNER】は設立から1年も持たずに終わっていたかも?




昨日の【第六回 ペントレーディング in 東京】は大盛況!1日に110人の来場があった。

一端会場に入ると、最低でも1時間、通常は3時間、常連さん(40人)は朝から晩まで居るので、瞬間最高入場者は70人を超える。

これがお昼近く。会場は5機の空調を冷房の最強にしても熱気でむせ返るほど!戦後の闇市の様な状況じゃな。

開場前に一度、品物を検分する時間をとり、一端外へ出て、受付を済ませた人から早いもの順に会場内へ入って、戦闘開始じゃ!

昨日は3番目に受付を済ませた方が拙者のブースに歩いてきた時には、お目当ての物は1番目に入場された方の手の中に!・・・緊張の一瞬・・・

それまで仲良く話していた間に微妙な感情が走る・・・そこでひるんでいては次なるターゲットを逃してしまう!すぐに気持ちを切り替えてダッシュ!てな具合じゃ。

午後になってようやくひと段落して、らすとるむしゃんといっしょに【ペンクリ爺さん’s】興行開始。

ペンクリデビューのらすとるむしゃんの手際のよさにビックリ。世界のコレクターS氏もアドバイスしてくださる。実はS氏は修理の方でも日本でも3本の指に入る腕の持ち主じゃ。

修理にはお湯が必要なのじゃが、松葉杖では動きがままならず、お湯を確保出来ない。

本来コーヒーメーカーでお湯を作るのじゃが、拙者以外は作り方を聞いていないので作れん!ということで、修理は一部先送り!

足の方は朝方は紫色に腫れていたが、帰ってみると腫れは完全に引いていた。万年筆に癒されたのかな?折れた箇所が痒いのぅ!。

擦り傷が治るときのような感じ。ただ骨折の経験豊富な諸先輩からは3日間は安静に!とアドバイスいただいた。

でも拙者としては【松葉杖姿とツーショット写真撮らせてください】と言ってくれる人もうれしいな!

本人は動くのに不便なだけで痛みは無く、気持ちは高揚している。足が不自由な分、よけいに心は元気じゃな。

その昔、ゲーセンでスペースインベーダーやヘッドオンというスタンド型全盛のころは、100円で5~6時間やった。

その間生理現象は全て停止し、トイレも行かなければ、食事も水分も無しでも平気じゃった。

昨日も会場に10時間いたが、一回もトイレには行かず(昨年は2回行った)。やはり人数が多いとアドレナリンも余計に出るのじゃろう。良い勉強になった。

万年筆くらぶ【フェンテ】 のべそ会長からは『松葉杖は最初、肩が凝る
』と教わったが、今朝になって肩と腕がパンパン。肩が痛くて松葉杖が使い辛い。


2006-03-19  xxxx 022006-03-19  xxxx 01これらは缶の組み立て工程。総合文具メーカーであったペリカンが自社製品を入れる缶のプリントまで自社内でやっていたとは驚き。

下請けという制度が独逸には無かったのだろうか?不思議でならん。相当の設備投資が必要だと思うがなぁ。

 一つ考えられることは、職種別労働組合の力が強く、どの会社でも同一の仕事をやる人の工賃が同じだったという仮説。

これならば、中間搾取されるよりは、自社内で・・・という話もわからないではない。

また、全ての品質に責任を持つには、缶にいたるまで自社内で眼の届く範囲においておきたい!

あるいは、ナチス独逸の興隆によって下請けメーカーが軍需産業にシフトし、安い缶など作ってくれなくなったのでやむなく自社生産にしたのかも。

拙者としては2番目の理由であって欲しいがな。
 


Posted by pelikan_1931 at 23:59│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック