2022年12月06日

〔 パイロット会社案内 その3 & 4 〕アーカイブ 2006年5月

3個目の画像(平塚工場の写真)を良く読むと、JIS表示許可指定商品にペン先が入っているようだ。

ということは、ペン先にJISマークのあるペン先が存在すると言うことだろう。

国産三社のペン先で、JISマークが入っているペン先をお持ちの方は、pelikan @ hotmail.co.jpまで画像を送って下さい。

なんか無性に見たくなってきた!JISマークが。

この当時のBG(ビジネス・ガール:いまでいうOL)の花形職業がタイピストとキーパンチャーだったらしい。

50年以上もたてば当時の花形職業はまったくこの世に存在していないのじゃな。




2006-05-XX Pilot 072006-05-XX Pilot 08ここに紹介する2枚の写真はパイロットの会社案内に収められている【事業所/国内】の最初の2枚。

ここでは本社、工場、関連会社の写真が順番に掲載されている。

まず本社の紹介だが、右上の取扱商品の最初に【万年筆】と掲載されている。

万年筆の売上げが5%にも満たない現在と違い、昭和37年(1962年)には万年筆がパイロットの主要商品だったのは間違いない。

万年筆のほかにもシャープペンシル、ボールペンなどに並んで【インキ、スタンプパッド、カーボンペーパー】などもある。

このあたりはGunther Wagner社と似たような商品群。独自の商品としては計算尺、計算機などがあった。

左の写真の下左は【事務合理化の先端を行くIBM室】と思われる。

机に並んでいる女性はキーパンチャーで、机の側のくずかごには打ち損じたパンチカードを捨てるようになっていたのだろう。

当時はコンピュータといってもパンチカードシステムじゃ。1964年に実施された東京オリンピックにおいて、初めてオンラインによるデータ集計システムがお披露目されたはず。

昭和37年当時は受発注伝票をパンチカードに打って、集計し販売店向けの物流の迅速化、正確化に使ったと思われる。

京橋にあったパイロットの本社ビルは7階建て2,900平方メートルだが、手狭で分室が多数あると書いてある。

今考えれば巨大なコンピュータを東京駅近くの地価の高い場所に設置するなど愚の骨頂のように思われるが、土地代をはるかにしのぐ価格のコンピュータに一等地を与え・・・

カスタマーエンジニアがすぐに駆けつけられるようにする方が、理にかなっていたのかもしれない。なんせパンチカードシステムはカードがスタックして頻繁に故障したはずだからな。

右の志村工場は21,100平米の敷地を持っているが、ほとんど修復不可能な戦禍を受けたらしい。しかし復旧に全精力を注ぎ、敷地内に近代設備を備えた建屋が次々に立ったようだ。

しかし、作るだけ売れるという好景気に引っぱられて手狭になり、次回紹介する平塚での画期的工場建設へと繋がっていったのだろう。

当時の万年筆製造技術は、豊富な資金力に支えられて、常に最先端の機械を購入することによって支えられていた。

それを身につけ、工夫することによって、万年筆以外にも応用できる可能性を技術者なら見つけてしまう。

それがQC活動を通じて上層部に提案され、やがてパイロットの業態を変えてしまったのじゃ。

逆に、それがなければ幾多の独逸の万年筆メーカーと同じく、パイロットも消えていたかもしれない。


2006-05-19 Pilot 092006-05-19 Pilot 10左の2枚の写真はリニューアルしたばかりの平塚工場の写真。戦前の平屋から鉄筋コンクリート2階建ての立派な工場になっている。

しかも説明には【万年筆専門工場】と記されている。

通常、工場は平屋建ての方が設計に自由度が効くので複数階仕様はあまり一般的ではなかったはず。考えられる理由は2つ。

\渋さヽの背が高く、2フロアーぶち抜きが必要

一階が製造現場、2階が研究 / 事務室 / 食堂 / 資料室等

平塚工場は訪問したことが無いが、おそらくは△里茲Δ弊澤廚世隼廚錣譴襦

事務室や研究室と現場を上下階にすると、平屋の場合よりも移動時間が短縮され、設計/研究部門と現場との意思疎通が改善されるという調査結果もあるでな。

いずれにせよ、万年筆ファンを名乗る以上、平塚工場訪問は夢。比較的歓迎されるらしい。昔は訪問者に【くみたてぺん】がプレゼントされたらしい。


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 左の2枚は、インク製造を担当したパイロットインキ株式会社とシャープペンシルを担当したパイロット機工株式会社。

今がどうかは知らないが【インク】というのは製造会社にとっても販売店にとっても非常に儲かる商品だったらしい。

考えてみればインクは嗜好品。これと決めたらそう簡単には変えられない。しかもインクは化学製品のため、家内工業では作れない。

作ったとしても品質は保証できない少数メーカーの独占市場だったろう。原材料は水と多少の薬品のみ。

ペリカン社史の中で、大きな樽で作ってボトルに小分けするまでの工程が1938年段階でもかなり自動化が進んでいた。

おそらくはパイロットでもそれに劣らない機械で製造していたと想像される。

単なる化学薬品であれば、地方で製造しても良いのであろうが、値段の割りに重量がある。

そこで、大阪、東京の巨大消費地に近い愛知県に工場を建設し、物流効率を第一に考えたのかもしれない。

シャープペンシル専門の会社があったというのもビックリ。当時はまだボールペンはメジャーな筆記具ではなかったんだ・・・ 

しかもこれだけの女工さんが製造に携わっているところを見れば、繰り出し式ペンシルの製造だろうか?チャック式であればもう少し効率的に製造できるような気がするな。

パイロット事務機器株式会社は小型計算機を製造していたとか。これは手回し式計算機だろう。

さすがの拙者も使ったことは無いが、大学の図書館には常備されていた。乗算は右回しで乗ずる数だけ回す・・・・なんて代物じゃったはず。

電卓は高嶺の花で、大学の生協でも【カシオ√121L】というのが¥57,800だった。

光電管で12桁の表示。√とメモリーがついていたので、統計解析を頻繁にやっていた拙者には必須アイテムだった。

石油ショック前でラーメンは90円。友人は1日300円以内で生活できると豪語していた時代の¥57,800は高かったが食費を切り詰めて買った。

しかしテストの時には貧富の差が出るということで、電卓の持込は禁止されていた。√ は・・・テーラー展開でやったかな?記憶は薄い・・・ 

実験結果レポートなどは電卓が無いと提出日までに間に合わない。少なくとも友人のうち6人は拙者の【カシオ√121L】のおかげで【優】が取れたはず。

今までで最もコ
ストパフォーマンスの良い買い物だた。


コストパーフォマンス最悪は、万年筆群かな・・・(^0^) 

Posted by pelikan_1931 at 23:59│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック