本文にも書いたが、企業に大切なことを順に並べると・・・株主、社員、販売店、顧客というのが、旧来の常識だった。
早い話がお客様は神様です・・・というのは嘘とは言わないが、お客様のわがままに何でも対応するというものではない。
最近、メーカーから最終顧客への直販も少なくない。また社員の仕事を専門会社にアウトソーシングしたり、AIで置き換えることも少なくない。
だんだんと社員、販売店をないがしろにして、企業と顧客とが直接取引する事が増えてくるのは事実。
しかし、メーカーが企画する商品のアイデアは、ほんの少人数の企画員から出たもの。
とんでもないアイデアを出す販売店の力を借りないと底の浅い企画になると思う。
先日入手した川崎文具店のノーチラス?を見ていて感じたなぁ〜。
やはり販売店、顧客そしてメーカーの社員がコラボしてこそ良い万年筆が生まれるように思う。それが市場の拡大に繋がる。
筆記具としてだけではなく、記念品とかアクセサリーとかコレクションとしての需要はけっして少なくありませんぞ。
そして手のかかる筆記具のメンテナンスには、プロ/アマとわず世の調整師との協力も大切だと考える。
まぁ、調整師側にもメーカーから入手した部品の横流しや、魔改造をしないなどの品性も求められる。
そういう事も含めて、1社で全てをまかなおうとしたのがパイロットだった。
しかし万年筆の衰退と共に活動はうやむやになっていったようじゃ。実に残念!


【憂喜和(うきわ)会】という名称の販売店会は、互助保険、経営指導、技術指導という3つの機能があった。
火災と風水雪害の互助会は、その運営費用をパイロットが出し、保険金は会員が相互に出し合う。
要するに相互保険だが、保険会社の取り分が無い上に、パイロットが一部寄付金を供出することによって、会員の取り分は増えることが売り文句だったのかな?
しかし、保険会社は集めた資金を運用して配当金にしている為、好景気の時には、ただ単に貯めておくよりも利率が良い。
といって製造業であるパイロットが各方面に資金投資するほど投資ノウハウがあったとは思われない。あくまでも会員相互の結びつきを強くするのが第一目的だったのじゃろう。
それと災害の際の審査も甘かったのかも?
経営研究会とは、万年筆販売店の店主に対して、マーケティングやアカウンティングのやりかたを教える経営指導。
こういう制度は面白い。当時はメーカーから販売店に直接万年筆を卸していたので、販売店の経営状態がパイロットの経営に大きな影響を与えていた。
販売店の経営がかたむくと回収不能の売掛金が発生してしまう。従って如何に販売店に儲けていただくかがパイロットにとって大きな意味があったのじゃ。
店舗の清掃、照明、対応の仕方で売上げは大きく変わってしまう。この部分は繰り返し教育を各地で行っていたらしい。卸価格と製造原価との間にかなりの利ざやが無いと出来ない技。
万年筆は当時最も注目される産業だったのでこういうことが出来た。早い話が儲かっていた・・・!
修理講習会というのは、当時始まったばかりの制度だったと思われる。講習を受けた人がたった1500人しかいない。
もっとも平塚工場に集まってもらっての講習では地方の万年筆店の店主には金銭的、時間的負担が大きく、とても参加出来なかったであろう。
その部分のフォローは巡回修理講習班が全国を回っていたということじゃが、実際には販売店を回る営業マンでもほとんどの修理技術は持っており、販売店主に教育していたらしい。
【お客様は神様です】とか【顧客志向】とかいうが、株式会社にとって重要なのは株主、社員、販売店、顧客の順。
パイロットはその事を良くわかっていたからこそ、販売店を顧客よりも大事にしたのじゃろうな。