さて、しばらくお休みしていたペリカンの社史シリーズであるが、これから何回かにわけて再開する。最近筆記具関係に限らず、各社の社史に興味が沸いてきてかなり読んでいるのだが実に面白い。その中でもペリカンの社史は写真が充実しているのが特徴じゃ。日本の社史は文章中心で写真は小さいのをごちゃごちゃと入れているケースが多い。歴史の教科書のような感じの編集になっている。それに対してペリカンの社史は、歴史はともかく【現在のわが社はこれほどすばらしい会社じゃ!】と社員が家族や隣人に自慢する為の目的で作られたのではないかと感じてしまうような作りじゃ。文章を書くのが得意な人ではなく、画像・写真が得意な人が中心となって編集したのではないかと考えられる。一枚一枚の写真がすばらしく、それを補足する形で文章が添えられているという感じかな。
趣味の文具箱 1 の13頁にはペリカンの歴史を示す年表が載っている。少したどってみよう。
1832:ドイツ、ハノーバーの工房で、化学者カール・ホーネマンが絵の具の生産を開始。
1838:4月28日、最初の価格表が配布され、この日を創立記念日として記録する。
1863:オーストリア、ウィーン出身の化学者ギュンター・ワグナーが経営に参加。
1871:ギュンター・ワグナーが経営を引き継ぐ。
1878:ギュンター・ワグナー家の家紋であり母性愛の象徴であったペリカンの母子像を商標登録。
1888:営業担当のフリッツ・ベインドルフがギュンター・ワグナー家の長女と結婚。
1895:ギュンター・ワグナーよりフリッツ・ベインドルフが経営を引き継ぎ、業務拡大。
1901:インクシリーズ【4001】の発売がスタート。
1929:Pelikan fullhaiter が発売。翌年より100となる。
写真はカール・ホーネマン、ギュンター・ワグナー、フリッツ・ベインドルフじゃ。万年筆の製造を経営判断したのは、ギュンター・ワグナーの時代ではなく、フリッツ・ベインドルフの時代であったと考えられる。社史によればフリッツは1860年生まれ。28歳で結婚したことになる。単なる逆玉ではなく、優秀な青年であったことはその後のペリカンの興隆からも推察される。ギュンター・ワグナーの一番優れている所は人を見る眼だったかもしれんな。35歳で社長に就任している。
さて左の文章が社史に掲載されていた。意味はわからないが、日付は1838年4月28日。発行者は化学者Carl Hornemann(カール・ホーネマン)。どうやらこれがペリカンの創立記念日の根拠となった【最初の価格表】の表紙のようじゃ。
一回目に社史を眺めた時には見逃していた。しかしこれこそがペリカンの歴史上もっとも重要な書類じゃろう。創業日を規定する証拠書類じゃからな。1938年は正式に会社登記した年とばっかり考えていた。では会社登記はいつだったのだろう。そもそもそういう制度は独逸には無かったのかな?