1962年の時点でパイロットは既に海外にも拠点を持っていたようじゃ。インドの会社は万年筆を月産5万本製造している。しかも営業マン20人が4000店の販売店を巡回している。インドを製造コストの安い生産地点ではなく、人口が多い販売拠点として捉えている。
考えてみれば当時は1ドル360円。日本も製造コストの安い発展途上国の一つだったので、インドで万年筆を製造・販売しても十分に魅力的な収益が得られたのかもしれない。当時のインドは外資の会社設立が非常に難しい国だが、パイロット本社の株式所有率30%ということで、摩擦を避ける策がなされている。
現在ではインドは中国につぐ万年筆生産本数を誇っているらしい。パイロットで働いていた人々のノウハウがインド製万年筆に引き継がれているのじゃろう。一本は持ってみたい【インド製万年筆】。
ビルマもインドと同じく生産と販売の拠点として1959年に出来たばかり。1962年の段階で月産2万本、その後3万本、5万本と増やしていく予定と書かれている。
以前はビルマの万年筆需要の70%以上をパイロット製品が占めていたとか。またビルマに日本で最初に進出したのがパイロットだった! 並木・和田の精神は当時まで引き継がれていたのじゃ蝋。探検家精神じゃ!
タイには製造拠点は無く、販売だけのようじゃ。しかし万年筆の販売本数は年間30万本を超える大市場。ひょっとすると、日本からだけではなく、インドやビルマでの生産品もタイに流れていたかもしれない。
インド、ビルマ、タイのいずれもが現地人を多く雇用しており、日本人スタッフはほんの少ししかいなかったと想像される。まさに国際企業の草分けじゃな。
驚いた事に1954年にはブラジルにまで会社を設立している。1961年12月からはペン先の生産も初め、万年筆一貫生産工場となったとか。ブラジルも非常に人口の多い国。そして日本からの輸出がアルゼンチンと並んで非常に難しい国じゃった。大きな市場になかなか製品を供給できないということで、業を煮やして現地生産に踏み切ったのかもしれない。
工場の隅に置かれた車の拡大写真。1960年ごろの写真だと思われるが、なかなか良い車のに見える。Günther Wagnerの社史のごとく、一番良い車をならべたのかな? 現地従業員で車通勤というのは幹部クラスだけだろうから、これらは日本人スタッフの車か、社用車と思われる。当時の駐在員は良い生活をしていたのじゃろうなぁ。