昭和30年から36年までの売上高の推移が掲載されていた。当時の国内万年筆の全生産高の推移を表したのが左の表じゃ。これには海外工場での生産高は含まれていない。昭和30年を100とした場合の相対表示になっておる。注目すべきは、昭和33年には業界の万年筆生産高は前年を割っている。昭和32年の水準を越えるのは昭和35年になってから。ところがパイロットだけは対前年を割ること無く生産高を増やしている。
右の表の左端はパイロットの国内における万年筆の売上げの推移を昭和30年を100としてあらわしている。なんと6年間で売上を3倍以上に伸ばしている。当時の国内の万年筆需要がいかにすごかったかがわかる。これは国内売上高であるから輸出は含まれていない。
その右の表はパイロットの製品売上高の推移じゃ。ここには国内と書かれていないので、万年筆やインク、その他製品のインクも含まれている。海外子会社に対する部品売上も含まれているはずじゃ。当時はまだ連結で業績を表現しなかったので、海外工場の売上高は含まれてはいない。製品全体では昭和30年を100とした場合、昭和36年は270程度。いかに万年筆の売上増の影響が大きかったかがわかろう。
その右の2つの円グラフは、国内万年筆市場におけるパイロットのシェア。実に58.3%じゃ。万年筆関連の輸出においても47.6%をパイロットが占めている。
上の円グラフには出荷金額と書かれている。すなわち販売店向けの売上げ金額であって、販売店が消費者に売った金額ではない。
なぜ万年筆の生産本数や売上げ金額を出していないのだろうか? もし出せば、一本当たりの出荷金額がわかってしまう。となれば、消費者は販売店に対して【もっと安くせよ!】という圧力をかけてくる。定価販売を原則としていたパイロットの小売店にとっては、万年筆の仕入金額がわかるような数字は迷惑千万じゃ。そういう配慮から出荷本数や万年筆だけの売上金額を出していなかったのだと思う。
何故パイロットがここまで強かったのだろうか?製品の力だけではここまでのシェアは取れまい。やはり営業手法が優れていたはずじゃ。卸を通さず、営業マンが直接販売店に売り込み、同時に技術指導や販売方法、展示方法などを伝授する・・・・人間関係で販売するわけじゃから、ある程度の押込みも出来る。それが不況知らずの国内売上の伸張をもたらしたのじゃろう。