一番左の頁にはPelikan社の歩みが記されている。1832年にカール・ホルネマンが工場を建てたのは事実じゃが、Pelikan社の創立は1838年。これは最初の価格表が出された年を創業と定義したからじゃ。1832年を創業年と誤解しないようにして欲しい。
1871年にギュンター・ヴァーグナーが会社を買い取ったのは知っていたが、それがドイツ帝国が成立した年とは知らなかった。欧州の歴史を知らずして万年筆の歴史は語れないのかもしれない。世界史は10段階評価で2だった苦い過去が・・・・
本文の記述に前後関係を誤解させる表現がある。1911年ごろよりフリッツ・バインドルフが文化的催しをやったのは事実だが、この時にはまだ万年筆は作っていなかった。本文にもあるように最初のPelikan製万年筆の登場は1929年じゃ。
ピストン吸入式万年筆を発明したのはPelikanではない! が、最初に万年筆に適合させるべく改良をしたのは事実。そして製品化も第一号。大きな間違いではないが、Pelikanは特許を金を払って入手したのじゃ。
記述によれば、カートリッジをドイツで最初に採用したのもPelikanとか。これで【ペリカン・コンバーター】とカタログの中で連呼している理由がなんとなく理解できたな。やはり事実を積み重ねて過去を類推する作業は面白い!
【名品と呼ばれて150年、伝統の技術とドイツ人の情熱がペリカン万年筆一本一本に息づいています・・・】と、またここで、Pelikanの歴史と万年筆の歴史を混同している。Pelikan創立の1838年にはまだ万年筆は発明されていないのじゃよ。
このカタログではシグナムを推奨している。シグナム自体はPelikanの歴史の中でも記録に残る大失敗のモデルらしい。昔使っていた人の評判も散々!しかし拙者には非常に書き味の良い万年筆に思われた。
この当時はMontblancのノブレス、Sheafferのタルガ、AURORAのアスティル、ラミーのLF50など筒型の万年筆が多かった。その中で、デザインが最もダサイのがPelikanのシグナムじゃ。ただし、書き味はラミーと並んで最高!どうして人気が出なかったのかよくわからない。筆記具はオシャレでなければならなかったのかもしれない。それならばAURORA・アスティルに完敗というのは頷ける。
値段表を見ると#400【復刻】とM491が同じ値段!?。格は#400が数段上じゃが、ペン先が#400は14金で、M491は18金ということで、価格を合わせたのかな? ペン先の大きさから考えて金の総量は#400の方が多いはずなのに・・・
現在でもそうじゃが、金の含有量が多いほど柔らかい書き味だと誤解している人が多い。弾力を出すには14金の方が適している。素材の柔らかさ と 書き味の柔らかさ は、まったく定義が違う。この部分はぜひ知っておいてもらいたいものじゃな。