完全な万年筆の追求について述べた【第十九章】
第一章は1926年1月号に掲載され、この十九章は1929年の1月号に掲載されている。3年間で19章分、約2ヶ月に一回の割合で掲載された勘定になる。全てが第五章とか第十章ほどのボリュームがあれば大変じゃが、この第十九章程度の内容であれば時間もかからなかったろう。
それにしても他に参考文献も無い中で、これだけの論文を二ヶ月に一回世に出して行くのは大変じゃったろう。本業も忙しかったろうにな。blogのような【頭の中身の吐露】と、文章の組み立てが必要な論文を比べることは出来ない。頭の汗のかき方が違う。
拙者など【脳トレ】というか【犬の散歩がわりの早起き】の代わりに【朝blog】を書いておる程度じゃ。そういえば・・・
昨日、国会図書館付近でご婦人が犬に語りかけていた・・・【xxxちゃん、あたしを散歩させる気かぁ?そんなに早く歩かないの!】。拙者は自分で犬を飼った事は無い。元々猫派なのだが、【犬には散歩が必須!】という事が犬と暮らす事を躊躇させる最大の原因。
ところがこのご婦人の一言で達観出来た。犬を散歩させると思うから負担なのじゃ!犬に散歩させてもらうと考えれば良い。有酸素運動を犬トレーナー様にやっていただくわけじゃ。悪くないかもしれない。しかし自由きままに行動する【猫派】の拙者には規則正しい散歩なんぞ無理だわな・・・
【萬年筆と科學】の第一分冊は十九章で終了。第二分冊に入るとイリジウム特集といってよいほどの内容。今からわくわくする。
そのテンションを蓄積する為の準備期間なのか、この十九章を含め、これまでの数章は渡部氏のテンションは低い。この十九章など、明らかな手抜きじゃ。
この章で渡部氏が言いたかったのはただ一つ。【萬年筆の技術は日進月歩の最中であり、2年前の理論はもはや役立たない事もある。大いに期待せよ!】じゃ。
渡部氏の意見の中で面白いのは【手作り万年筆なんか作っているから精度も品質も悪い。機械の方がはるかに精度が良い。しかし、それでも完璧ではない・・・】というもの。当時の万年筆は現代のパソコンのようなもの。より使いやすいハードやOSがあるのに、バグが多く、遅く、使いにくいものを使う必要は無い!という的を得た指摘じゃ。ただ、マッキントッシュ・クラシックが珍重されたりもしているので、全否定するものではないはず。
現在では持てはやされている【手作り萬年筆】が、当時は未熟な技術とされていたのは面白い。【手作りだからこそ融通が利く】という発想は無かったようじゃな。
時代によって【評価】も変わる。過去に【紳士の小道具】であり、今や【ヲタクの手慰み物】である万年筆が、将来は【淑女の持つべきアクセサリー】に変えていかねば! それが我々の使命じゃ!
女性諸君、バレンタインには安い【義理万年筆】を!
男性諸君、ホワイトデーの本命には【地味な国産万年筆】を!
解説【萬年筆と科學】 その18
解説【萬年筆と科學】 その17
解説【萬年筆と科學】 その16
解説【萬年筆と科學】 その15
解説【萬年筆と科學】 その14
解説【萬年筆と科學】 その13
解説【萬年筆と科學】 その12
解説【萬年筆と科學】 その11
解説【萬年筆と科學】 その10
解説【萬年筆と科學】 その9
解説【萬年筆と科學】 その8
解説【萬年筆と科學】 その7
解説【萬年筆と科學】 その6
解説【萬年筆と科學】 その5
解説【萬年筆と科學】 その4
解説【萬年筆と科學】 その3
解説【萬年筆と科學】 その2
解説【萬年筆と科學】 その1