2007年06月05日

暮しの設計 No.117 1977年 【世界の文房具】 その8

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 今回取り上げたのは手帖。【世界の一文房具】で取り上げられた3頁じゃ。上の画像の右から左へと頁は進んでいく。

 書き出しはしゃれている。【むかしのヨーロッパには舞踏会というのがあって、少女は、小さな『手帖』を持っていくんです。その娘と踊りたい青年たちは、その手帖に自分の名を書き込むことで申込む・・・・】とある。

 これは事実と違うだろうな。たとえば拙者が精一杯丁寧に文字を書いたとしても、殆どの人は認識出来まい。また各自が少女の手帖に名を自分で書き込むとしたら・・・拙者ならライバルの名前を塗りつぶしてしまうじゃろう。

 書斎館に【舞踏会】というオリジナル商品があった。その説明文には

 【19世紀の貴族階級で毎晩のように開かれていた「舞踏会」。舞踏会ではダンスの相手を男性から女性に申し込み、女性はその順番を間違わないことがマナーとされていました。そのため女性は優雅で美しい筆記具を持ち、舞踏会手帖と呼ばれる手帖に踊る順番を書き留めていました。当時のイギリスで実際に使われていたアンティークのペンを限定1,000本再現したものがこの「舞踏会」です

 とあった。レディが自分の手帖を見せるわけはないし、悪筆で書かれて読めなくて順番を飛ばしてしまったら【勝手に無視された。レディにあるまじき奴じゃ】と悪評がたってしまう。

 せっかくのしゃれた書き出しだったのに、事実誤認があったようじゃな。ところで書斎館の【舞踏会】の写真。男性が手首に巻いているんですけど・・・一応はブレスレットとして使用とは書いてあるが、やはりレディに使って欲しいなぁ・・・

 【手帖】と【手帳】のニュアンスの差は何かな?この3頁前の日本製のコーナーでは【手帳】と書かれている。書斎館は手帖という表現を使っている。拙者が萬年筆と万年筆を使い分けるようなものかも知れない。【WAGNER】は年筆研究会であって、年筆研究会ではないのじゃ・・・

 なかなかおしゃれな手帖を眺めていて気付いたのだが・・・・昭和52年当時はファイロファックスは日本に紹介されてなかったのかなぁ・・・

 実は拙者は一時バイブルサイズの手帖に懲りまくった時期がある。ファイロファックスが流行りはじめてしばらくしたころ。各社の代表モデルを全て購入して使ってみたが、どいつもこいつも使いにくい。

 ファイロファックスは釦のカバーがすぐに割れる。他社のは配慮が足りず手帖の内側の革がリングでへこむ。また使い物にならないペン挿しが付いている・・・・

 ついに到達したのが伊東屋で購入した無名の手帖。ダチョウの皮製で、15万円ほど。リングはクラウスの金鍍金物。ペン挿しはなく、リングカバーもあり、差込式のフック。拙者にとっては究極の手帖だった。まったく非の打ち所の無い完璧な品。

 ところがそれを手に入れて以降、まったくシステム手帖に興味が無くなった。ポストイットホルダーと地図のレフィルだけを入れて、長期間持ち運ぶだけ。完全にアクセサリー化していた。先日、机の隅で眠っているのを見つけ、TAKUYAしゃんに研究用として差し上げた。

 やはり拙者は手帖においても、実用には興味が無くて、【完璧を追求するプロセス】を楽しんでいただけじゃったと気付いた。


2007-06-05 05 その端的な例がこの2本。いずれもペントレや交流会において、自分の書き味の良い萬年筆と交換した、今一歩の書き味の万年筆。

 ナイアガラもセネターも自分の物は(拙者にとっては)良い書き味だった。従ってそれほど愛情は持てなくなっていた。そこへ同じ年筆を持った人が2人あらわれ、書き味で悩んでいたので、拙者の年筆と交換したというわけじゃ。

 その昔、伊東屋で何本も試し書きして、最も書き味の悪いのを選んで購入していたころを思い出す。

 拙者にとって書き味の悪い年筆こそがありがたい。それを年筆に変えていくプロセスを楽しむというわけじゃ。

 注:今回は勝手に【】と【】を使い分けたが、いつもそうしているわけではない。
   手と手が出てきたので、使い分けてみただけ・・・そうしてみたい年頃なのじゃ。

2007-06-05 04 これは【世界の文房具】に掲載されていたミシンのコマーシャル。さすがにミシンは文房具としては取り上げられていないが、16頁と17頁には【ミシンが主役の机の上】というコーナーがあり、協力として【リッカー株式会社】と書かれている。

 どうやらその2頁でミシンを紹介するということで、この広告ページを販売したのじゃろう。

 【電子のお針箱で我が家はみんな手づくり!】というのは、なかなか魅力的なキャッチじゃ。昭和52年当時はまだまだミシンで洋服を作る人も多かった。大学生の時の彼女も全てお母さんの手作りの洋服を着ていた記憶がある。

 裁縫も苦手ではなかったのでミシンも使おうとした事もあったが、いかんせん作りたい物が思い浮かばなかった。今ならズボンのすそ上げとかに使えるなぁ。

 それにしても、このころからキティちゃんはいたんじゃな。当時はスヌーピーの方がメジャーだったけど・・・

【過去の記事】

2007-05-29 暮しの設計 No.117 1977年【世界の文房具】その7
2007-05-22 暮しの設計 No.117 1977年【世界の文房具】その6 
2007-05-15 暮しの設計 No.117 1977年【世界の文房具】その5 
2007-05-08 暮しの設計 No.117 1977年【世界の文房具】その4 
2007-05-01 暮しの設計 No.117 1977年【世界の文房具】その3 
2007-04-24 暮しの設計 No.117 1977年【世界の文房具】vs【趣味の文具箱 Vol.7】 
2007-04-17 暮しの設計 No.117 1977年【世界の文房具】その1 
  


Posted by pelikan_1931 at 07:00│Comments(1) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 周辺Goods 
この記事へのコメント
調べてきたら、キティchんは1974年生まれ

昭和52年は1977年じゃから、キャラクターが生まれて3年。
まだまだメジャーではなかったのか・・・それにしてもしっかりと布地は発売されていたのじゃな。

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●知っていますか? キティちゃんの『プロフィール』
本 名 キティ ホワイト
誕生日 1974年11月1日
好きな食べもの ママの作ったアップルパイ
血液型 A型
生まれた場所 イギリス ロンドン郊外
身 長 リンゴ5コ分
体 重 リンゴ3コ分
Posted by pelikan_1931 at 2007年06月05日 07:13