参加されている方は表定例会と裏定例会は、開催場所以外は特に違った感じはしていないかもしれない。
しかし拙者に取っては大きな違いがある。
表定例会は【舞台】で、裏定例会は【楽屋】に近い感覚じゃ。
【舞台】は真剣勝負。一日に何本の萬年筆を蘇生させるかの時間との戦い。朝から始めて午後3時には既に限界となる。それ以降は預かっての修理とすることになる。
拙者の調整はほとんどの場合、時計のオーバーホールに近いところまで実施する。発売時に出せていた性能以上の状態にしてお返しするのが【市井の調整人】の義務だと考えている。これはたやすい。
難しいのは【よそで調整された萬年筆】の調整依頼じゃ。各所の調整は、それぞれコンセプトが違う。調整された物にあった使い方を教授して販売する店、個々人の書き癖にあった調整を施す店、とりあえずの修理をするペンクリ、メーカー直販の高級モデルを個々人に合わせてカスタマイズするペンクリ販売、Vintageの弱点を改良した上で販売する店・・・
それぞれかける時間も、考え方も違う。以前は持ち込まれた萬年筆のペンポイントを見ればどこで調整したかはだいたい見当が付いた。それぞれ特長があったからな。
最近ではそれらを真似した素人調整を施したものが、ネットオークション経由で流通し、持ち込まれる事もある。
【よそで調整された萬年筆】に関しては、依頼人から詳しく状況を聞かないと作業に取りかかれない。調整戻りか、持ち方が変わったのか、合わないインクを入れたか、紙があっていないか、書き味の好みが変わったのか・・・
そういう場合、依頼人はえてして【あそこで調整してもらったが手に合わないのでお願いします】という言い方をする。人のせいにしてはいけない。
それは調整を依頼する場合に要望を伝えきれなかったか、調整後受け取る時に納得しないまま受け取ったか、自分で調整をめちゃくちゃにしたかじゃ。
調整師は【背中を掻いてくれる人】だと思って欲しい。【どこかほかに痒いところはあいませんか?】という背中掻人に、痒いところが残っていても【ありがとうございました、OKです】といってしまったらお互い不満足になる。
【ここも痒い、あそこも痒いので掻いてくれ!】【もう背中は真っ赤でこれ以上掻いたら血が出るので、止めた方が良い。ここには液体ムヒ(インク誘導液)を塗っておきましょう。】
【あそこは靴の底から足の裏を掻くので気持ちよくない。靴下脱ぐから直接掻いてくれ】【いいけど、くすぐったいですよ(書き出しが掠れますよ)】
というようなやりとりが必要じゃ。萬年筆と持ち主と調整師のうち、誰が不幸になってもいかん。【最大多数の最大幸福】が重要。拙者は調整師と持ち主が結託してVintage萬年筆を不幸にするのを一番危惧している。次の世代にも入手困難な萬年筆を伝える事が萬年筆界の発展に必要だからな。
こんな気持ちで臨む【舞台】は真剣勝負。楽しんではいられないし、腹も減らない。目の前の依頼者との演技に集中しており、周りに目を配る余裕もない。わざと目を合わせないこともある。調整中に話かけられても返事をしない事もある。特に8の字旋回を施している時には、頭の中でカズを数えているので、応答すると【時蕎麦】になってしまう・・・
その点、【楽屋】である裏定例会は気が楽。そもそも調整道具は簡易バージョンしか持って行かないので、微調整しかやらないし、修理は預かりが基本になる。
【楽屋】では萬年筆を通じて知り合った仲間から、萬年筆以外の情報や知識を得るのが非常に楽しいのじゃ。【楽屋】でリフレッシュし、【舞台】に望むというのが拙者のスタンス。
従って【楽屋】ではいろんな人に話題を振るので、それには差し障りの無い範囲で気軽に答えて欲しい。
WAGNERは【萬年筆研究会】という互助会と同時に、情報発信基地でもある。情報発信は表にも裏にも参加出来ない会員、また、全国の萬年筆ファンに対してメッセージを出す義務を持っている。自分たちだけが情報を隠蔽しているのでは文化に対する冒涜じゃ。
そういう義務とプレッシャーを背負っても【舞台】が何故継続できているかと問われれば、【参加している人との交流の魅力】につきる。
拙者も、万年筆くらぶ【フェンテ】のでべそ会長と同じく、【趣味は萬年筆愛好家の収集】と答えている。そして収集した萬年筆愛好家が萬年筆以外でも心を通じ合い、仕事で繋がったり、助け合ったり、援助したりというような関係になれば最高だと考えている。
昨日も毛色の違うおもしろい情報や、多くの示唆を得ることが出来た。やはり【楽屋】は楽しい!しかし【舞台】あっての楽屋であることも事実じゃがな・・・