左は1963年当時の工場と代理店が表示された地図。会社の規模の割に非常に多くの工場を持っていたことに驚いた!
アルゼンチン、ブラジル、イタリア、メキシコ、オーストリー、スイス、スペイン、ベネズエラ
え、独逸には工場はないの? と地図を見直すと太字二重丸で記載されている。本社を表す印であろう。工場を持っているかどうかは不明だが、100周年の社史には独逸工場が描かれていたので、工場が全て海外に移設されたとは思われない。
それにしてもペリカンて設計は独逸でも製造は【ラテン】だったんだ・・・
日本製家電製品の部品の多くが中国製というのと同じか・・・
いったい何を独逸やスイス、オーストリーで作り、何をラテン系の国で作ったのかな?
いやいや当時の輸送コストを考えれば、南アメリカあたりでは全製品を作っていたかもしれない。
それにPelikan 140や400NNあたりにはブラジルでしか作られなかった貴重モデルもあるという噂を聞いた・・・真偽のほどはあきらかではないがな・・・
販売代理店はけっこう偏っている。日本には東京と沖縄(返還前)。台湾と上海付近にも代理店があるが香港には無い。グァム、ニュージーランドにもある。オーストラリアには代理店が5ヵ所もある。中南米にも多い。
ところが北米には2ヵ所しかない。これはどうした事か?ペリカンは今でも米国では人気があまり高くないが、当時から代理店が無いに等しい。特に西海岸にはまったく代理店がない。
これは異常!排斥されていたとしか思えない。
100周年の社史に出ていたナチスドイツの旗を飾った写真に代表される問題が尾を引いていたのだろうか?
当時のペリカンの主力商品はどうやらタイプライター・リボンやカーボン紙で、万年筆ではない。
もし主力商品が万年筆ならばパーカーやシェーファーの牙城である米国本土に攻め込めないのはわかるが、タイプライター王国の米国に、タイプライター・リボンで切り込めないとは思われない。やはりなんらかの思惑が働いていたのではないだろうか。
たった一枚の【工場&代理店配置図】でも、これほど想像をかき立ててくれる。歴史探索がこれほどおもしろいとは!
高校生時代に歴史にまったく興味が持てなかったのは、年号暗記が歴史だと思っていたからであろう。教育は興味の持たせ方しだいじゃ。
もし歴史の授業で、世界10大万年筆メーカーの創業からの歴史を一表にまとめなさい!なんていう授業が一度でもあったら、歴史も万年筆も早い時期から好きになっていたかも・・・
この地図の一番の傑作は南北を示すマーク!中央にあるペリカンマークがカワイイ!
過去の【Pelikan 125 Jahre Katalog】
2007-08-21 Pelikan 125 Jahre Katalog その1