火曜日の質問コーナー その24
【万年筆評価の部屋】では毎週火曜日に、質問コーナーを設けているが
第24回目の今回はMontblancの質問のみを受け付けます!
そして・・・
今回のアンケート調査は、現在の 【貴方の万年筆ブーム】 の発端は何でしたか?
何年前の、何がきっかけで、萬年筆に溺れるようになったのかをお答え下さい。
それでは 結果発表! 22:00
拙者は近代万年筆の幕開けは1983年のル・マン100からだと考えている
そこで
〜1982年にはまった人
1983年〜1990年にはまった人
1991年〜2000年にはまった人
2001年〜にはまった人
に分類してみた
その最終結果は・・・
〜1982年にはまった人 ・・・・・・・・・3人
1983年〜1990年にはまった人 ・・・・・・3人
1991年〜2000年にはまった人 ・・・・・・5人
2001年〜にはまった人 ・・・・・・・・・12
人
となっている。半分以上が21世紀になってから・・・
これが萬年筆研究会【WAGNER】の特徴
比較的はまった年数が若いのじゃ
みなさん、臆せずにご参加くだされ
みんなで高みに堕ちようではないか!
Posted by pelikan_1931 at 07:00│
Comments(24)│
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質問・アンケート
みなさんこんばんは。アンケートの回答です。
万年筆に「憧れていた」断片的な記憶はあるのですが、本格的に嵌ったのはフルハルターのホームページに出会ってからです。2002〜2003年にかけてだったと思います。ペントレ2007に参加して更に加速しました。
出遅れました。
それまでも、万年筆は使っていましたが...
「はまった」のは、2000年3月にヴィスコンティの
‘リシュリュー’を手にしたとき。
想像していた軸色とちがっていたので、そのまま「真っ逆さま」
でした(^^;
数年前に、Lapitaで万年筆特集を見てからです。それから20年位まえに叔父にお土産で買ってもらった、モンブランを引っ張り出してから本格的に火がつきました。今はそのペンは師匠に遠隔調整頂いて、日常で大活躍しています。
一年半前に、電車の中で読もうと思って買ったのが池波正太郎の「男の作法」でした。
そのなかの、「万年筆は男の武器、日本刀のようなものだからねぇ・・・だから、(お金がなくっても)そういうものにお金をかけるということはすごい立派なこと・・・云々」
という内容をみたことが、万年筆購入のきっかけです。
書くこと自体に面白さを感じたのははじめてでした。
学生の時にもっていれば・・・もっと勉強したかな?
きっかけはシャーマンとの出会いですね。
デザインはめちゃくちゃ好みなのに、重い!書き味×!!で、もっと気持ちよい万年筆があるはずだ、と執着してしまったのが原因…。
(のちに慣れましたが。)
今はほぼ満足の万年筆があるので、物欲は収まってます♪
こんばんは。
五年ぐらい前に、たまたま覗いたヤフオクにオノトやビックレッドを発見。三十年前の果たせなかった夢の続きを見させていただきました。そうこうしているうちに市井の調整士(師匠)の存在を知ることに。その憧れから自己流ではじめた調整が面白くて今日までどっぷり万年筆に嵌ってしまいました。
30年程前に,母から国産の万年筆をもらいました。
当時中学生だった私は,いつも母が万年筆で書いていたのをみていたので,”やっと私も万年筆で書ける”と喜んで万年筆を使ったのが始まりです。 このころから,毎日のように筆記していました。
その後,大学入学祝いで買ってもらったシェーファーのスリムタルガで毎日,日記を書いたり,実験レポートや卒論を書いたりして深みにはまっていきました。
こんばんは。
私の場合は、今から34年前に大学に入学し、バイト代を貯めて憧れであったモンブラン149を、買うならここでと高校時代から決めていた神田金ペン堂で購入したことから始まります。このペンは卒論作成、修士論文作成に活躍してくれました。その後日本の西の端にある現在居住する県での2回目の大学生活が始まり、そこでマツヤ万年筆病院の原さんと出会い現在に至るまでこの149の面倒を診てもらっています。その間、ペリカンM800もマツヤさんから購入し二十数年に亘ってメンテナンスをして頂いております。このようにして万年筆に溺れていき現在に至っています。
以上、懐かしく思い出しました。
このようなテーマでお話を拝見するのはとても楽しいです。私の場合は、2001年のことで、キッカケは、たまたまセーラー90周年記念のカタログを目にしたことでした。高価なのにはびっくりしましたが、そこには、単なる筆記具ではなく、一生使える道具としての魅力が満ち溢れている気がしました。万年筆は、学生時代に使っていたことがありましたが、久しぶりに使ってみたくなり、店頭で見て最もデザイン(ペン先の大きさも含め)が気に入ったペリカン1000を購入しました。この最初の一本の書き味がすごく気に入り、万年筆にはまってしまいました。今、M1000はニブ違いで3本所有しています。
拙者の場合は、1983年の10月に伊東屋で母用にPilot 65の青軸を、
11月にParker 75を父親用に買った。父はMを持っていたのでFを買った。
喜んでいるのを見て、自分でも欲しくなり、
12月10日のボーナスでアメ横でWaterman ル・マン100を買った。
それがインク切れというか、書き出し掠れが頻発したのが、あれこれ萬年筆を買うようになったきっかけじゃな。
venezia 2007 さん、それだったら、超音波洗浄機にかけるよりも、ロットリングの洗浄液で洗うことにした方が簡単・確実である気がします。私は使ったことがない(今度購入しようと思っていますが)ので、断言はできませんが。
1982年3月、初めての給料で自分の万年筆149を2本購入したのがきっかけでした。但しその時、ニブの太さを選択可能であることを知らず、ディスプレイに出ていた細字を2本買ってしまって後悔したことが、後に自分を太字フリークにしたきっかけでもあります。
はるか昔、中学生の頃、記念にいただいた自分の万年筆が使いづらく、友人の万年筆が驚くほどかきやすかったことが伏線にありました。その後、何本かの万年筆を使い分けてはいましたが、まだ普通の状態。時を経て6年前、「この一本」として大事に(10年ほど)常用していた#400を紛失し、次の万年筆を買おうと訪ねた、忘れもしない紀伊国屋の文具売り場でデルタ366を見たことです。あとは王国の楽園か、はたまた泥沼か、です。でもその後、何故か#400を手にすることがないのです。この理由、自分で分析中ですが。
万年筆の骨董的な美しさ、自分が書きだす文字への執着、反面簡単にはなびいてくれないペン先の嫉妬、失敗の度に思う再挑戦、いろいろありますがやはりこのブログにたどり着いた時、そして自分で納得出来た時だと思います。でも気がついたら20本近く目の前に万年筆がありました。
万年筆ブームの発端
1.父のモンブランを使ってみて、インクがにじんで使いづらく、嫌になった。
2.プラチナのデスクペンの書きやすさに感心した。
3.DAKS万年筆がかっこよかったので買った。(ただし新品当初インク出が悪く好きにはなれなかった)
4.#3776セルロイド(中字)を買って、万年筆の書き味の滑らかさに感激した。
5.モンブラン・レーシンググリーンのシブさに惚れた。
6.ヤフオクで初期型#3776を安く入手でき、ヤフオクにはまる。
7.このブログにたどり着き、万年筆の調整と万年筆人の方々との交流を通してこの世界の奥深さを知る。
さて、発端といえるのはどこでしょうか(笑)。あと、最初は万年筆を嫌いになる方が結構多くて安心しました。(謎)
はじめまして。いつも楽しく拝見させて頂いております。「貴方の万年筆ブームの発端は何でしたか?」問いに誘われて投稿させて頂きました。
私が初めて万年筆を手にしたのは14〜15年位前で、20代だった私に当時お付き合いしていた方がプレゼントしてくれたプラチナ14金(中字)の万年筆でした。五千円位のペンでしたが、これを使って良く手紙を書いたものです(当時は遠距離恋愛中でした)今ではMontBlancやViscontiに嵌ってしまってあまり使わなくなりましたしたが、このプラチナ万年筆は今でも保管してあります。(この話は家内にはしていません。)たまにインクをつけたり、洗浄したりして彼女は元気かな?とか子供は何人位いるのだろう?とか思ったりしているのでした。
質問です。モンブランのブルーブラックインクは萬年筆を清掃してもなかなか汚れが落ちず、その意味で最悪なのは承知している上で、分解清掃のしやすさからコンバータータイフ゜を選び、敢えてブルーブラックを使う場合、コンバーターを外し、首軸にペン先ペン芯が付いたまま超音波洗浄で洗う位の手軽な定期ケアで安定して使い続ける事は可能でしょうか?どうしても使いたいけどケアは手軽に済ませたいという質問です。
もう20年近くも昔の話、学位論文をワープロで提出する規則がなく、事務所と交渉する一方で、提出不可の場合に備え、生協の半額セールで買ったモンブラン(Fでした)を手に、原稿用紙に下書きを認めていました。結局ワープロでの提出が認められ、ワープロで清書を行うことに。(ワープロ提出第一号となりました)
そして昨年1月、ワープロ、コンピューターの使いすぎで腕が上がらなくなり、昔を思い出し万年筆に回帰。原稿用紙に、以前購入していたシェーファーを用いるようになりました。そのうち「商売道具」という名目で、少し良いものをと思い、インターネットで情報収集を始め、「金ペン堂」でペリカンのM805(B)を購入。その書き味の良さが、万年筆に溺れるきっかけとなりました。
こんばんは。
なんだかんだ言って、おぼれ始めたのはここ一年くらいです。
家にあったパーカーの保証書の日付を見てきました。
2007,4,7
この日が自分の万年筆記念日ということに。東京の丸善まで出向いて、Parker Frontierを手にしました。
2007年1月からパーカーのBPを使い始め、はまってしまった結果ですね;
そして、長く使っているうち、Wagnerを知って…
そしてこのParkerFrontier、近いうちに友達にお嫁に出すことが決まりました。ちょっと寂しい気もしますが、布教、布教(笑
画材マニアの彼ならきっと大事に使ってくれるはずです。
今晩はです。
13〜14年前に父親から譲ってもらったパーカー・デュオファールドの
持ち具合が悪いのに閉口し、3年前に買い求めたモンブラン・スター
ウォーカーは掠れなどが多いなど書き味が気に入らずと紆余曲折の末、
フルハルターの森山さんに研いでもらったM600の書き心地にすっかり
ハマってしまったのが運のツキ?
しかし、これだけストレス感じてたのに、それでも投げ捨てなかったのは
DNAに萬年筆でも刷り込まれてたんでしょうか?
前にもどこかで書いた気がしますが、今から十数年前、骨董市を冷やかして歩いていたところある店主が常連客とおぼしき客にアタッシュケースを開いて商品を見せているのを見ました。
50年代14×のモンブランがずらり。
最近になって知りましたがその店主こそ現ユーロボックスの藤井さんでした。
2007年の4月に所内異動で3年ぶりに庶務ラインに復帰したため、心機一転と思い就職時にもらった145を使ってみたら、インクが出ないわ、出ても安定しないわで。
そこからペンクリニックに行って、ワーグナーを知って…。
と言うところです。
最近は使い始めた頃の様に、また細字に回帰しつつあります。
太字は手紙とかで使いにくくて…。
基本的に手紙魔だった事に、その素養はあったと思われます。
が、学生時代の締めくくりの学位論文は、当時ハシリだったワープロで、熱転写リボンによる労作でした。ただし図表はロットリングにステンシル、、、
さてさて、萬年筆の泥沼にはまるその第一歩は、ペリカンのM600マリンブルーを購入したところから始まります。とても綺麗なブルーでしたが、その書き心地にやられました。
こんばんは。
7年前の冬、老舗文具店の“発想の転換。一番太いのいってみましょう♪”の声で買った、#146のBB。
それ以来、“イリジウム大盛、インクつゆだく”がデフォルトになってしまいました。
学生のころ卒業論文は原稿用紙に手書きが校則でした。
(時代錯誤もはなはだしい)
目指す職業は平成文士だったので、別に気にもせず。(笑)
ちなみに原稿用紙は学校指定だとタダでしたが、書きにくいので丸善で満寿屋製のを購入して使ってました。相馬屋・山田紙店も試したかったのですが地方学生には敷居が高かったです。ただ惜しまれるのは学生時代の万年筆が何だったのかが思い出せないことです。(#500(#400の日本向け名称)だったような気がします。)