当時のステフェンスインクは日本でも相当有名であったらしい。当時のステファンスのポスターなどには何度かお目にかかったことはあるが、実物も、インク瓶も見た事はない。
本社はロンドン、インク工場もロンドン、リーズ、グラスゴー、バーミンガム、マンチェスターの5箇所にあり、さらには、オーストラリアとニュージーランドにも製造会社を持っていたらしい。
渡部氏によれば、ステフェンスインクは世界最古のインキ工場として有名で、1832年にヘンリー・ステフェンスが操業したとある。インキ自体はそれ以前にも作られていたような気もするので、萬年筆用インキのことかもしれない。もちろんウォーターマン以前の萬年筆用ということだが・・・
1938年の時点では、ペリカンと同じく、萬年筆用インキだけではなくゴム糊やタイプライターリボン、カーボンペーパーなども作り、1935年からは萬年筆も製作も始めたらしい。このあたりは1930年のペリカンの萬年筆発売に刺激を受けたのかも知れない。非常に似た会社であったと思われる。同じ欧州にあり、ドイツと英国と言うことで、ライバル心も強かったであろう。
ただし、インキ製造に関してはペリカンを圧倒しており、米国のカーターインキであってもステフェンスに比べると三分の一の規模でしかなかったとか。まさに世界一古く、世界一大きいインキ製造会社であった!正し、萬年筆は幼稚で問題にするに値しなかったとか・・・
パーカーの英国会社であるが、創業当時は米国の親会社から萬年筆やペンシルを輸入販売していた。しかし英国での国産品愛用運動が盛んになるに従って、輸入品では商売が出来なくなったので、カナダに工場を作ったらしい。Made in Canadaというのは英国にとっては国産品の位置づけであったとか・・・
カナダは女王陛下の国であるから英国連邦とはいえ、1931年 ウエストミンスター憲章により、英国議会がカナダの自治権を法的に保障(実質的独立) しているはず。そこで作ったインクが国産品とはこじつけのような気もするが・・・
ところで、英国のパーカーの役員構成を調べていた渡部氏がおもしろいことを発見した。1923年にパーカーがビッグレッドを発売した時に、セールスマンから一躍支配人に抜擢されたゾコラ君が、英国パーカーの重役の3人の一人に名を連ねていた!常務取締役だった。実質的にはトップと言って良かろう。
当時の英国パーカーの施策がことごとく成功していたこと、将来パーカーが英国に本社を移したこと・・・を含めて考えると、ゾコラ君は個人の才能のみならず、後輩を育成する能力にも秀でていたと考えられる。
それにしてもゾコラ君について書くときの渡部氏はまるでアイドルを人込みで見つけた人のよう・・・かなりゾコラ君にあこがれていたか、そういう人材を欲していたかであろう。萬年筆屋物語を読む限りでは、渡部氏は何でも自分でやらないと気が済まない人のようであった。しかし、一方でゾコラ君のような人が自分の下に現れてくれることを期待していた面もあったのかもしれない。
左は当時の英国連邦の萬年筆、ペンシル、インキの製造量の想定、米英のそれぞれの生産量、日本や独逸を含む世界の萬年筆製造数、その輸出割合、インキやペンシルの国別生産数、世界全体の統計を一表にまとめたものじゃ。驚いたことに、当時の日本は独逸よりも萬年筆製造本数は多かった!
もし現在の世界統計があれば比較してみたい!製造本数は中国が圧倒しているはずじゃな・・・