今回の依頼品はPelikan 500N。1956年の1年間のみ作られた非常に数が少ないモデル。どれを購入しても製造年が特定できるので、1956年生まれの人が好んで購入する傾向がある。従って死蔵される事が多く、ますます市場出てくる機会が少ない。ひょっとすると、このオーナーも同じ年の生まれかもしれない・・・
依頼内容は、書いた時にインクが紙の上で盛り上がるような書き味にするということ、また、書き味を上品にして欲しいということ。
翻訳すると【つゆだくインクフロー化】と【スイートスポット研ぎ出し】ということになる。
こちらが調整前の状態。多少ペン先とペン芯が前に出すぎている。力を加えるとズレやすくなっている。
またスリットの開きが少なすぎてインクフローはそれほど良くない。横顔を見ると通常よりお辞儀が強いようだが、問題になるほどではない。ただスイートスポットは無く、接紙面積は非常に狭い。
その原因は、左画像を見ればわかる・・・かな?スリットを中心にして球のように丸くペンポイントが研がれている。こういう研ぎにした場合、筆記角度が安定しない人には使いやすいが、固定筆記角度の人には、【書き味が下品】と感じられるほど筆記感が悪くなってしまう。
また正面から見て左側の方が深く削り込まれている。もし意図的に削られたのだとすれば、萬年筆を極端に右に倒して書く人に合わせたとしか思えない。
こちらはソケットを首軸から外した状態。ソケットの凹み部分とハート穴やスリットの位置がずれているが、これはソケットへの差込が弱く、ペン先とペン芯がソケット内部で空回りしている証拠。
拙者は持っていないがPelikan 純正工具のソケット回しは、凹みがスリットの延長上にないと回せないようになっている。位置調整と、さらなるツッコミ!が必要じゃ。
こちらが清掃前のペン先。上から見た画像では、それほど汚れもエボ焼けも目立たない。が、ペン先の裏側を見ると、ものすごいエボ焼けがある。これは取り除いておかないと、潤沢なインクフローの障害になる。
首軸内部の丸穴の存在意義は何なのかな?切り割り時の位置固定、コストカット、塩酸洗浄時の吊り穴・・・など色々想像できる。どなたか本当の目的を知っていたら教えて欲しい。
こちらが清掃後、スリットを拡げた状態のニブ。いつ見ても美しい!実用品であっても、余分な装飾を剥ぎとっていくと本質だけが見えてくる。そして【本質】は設計思想に魂がこもっているほど美しい姿をしている。
昨日、【プロジェクトX】のプロデューサーだった今井彰氏の講演に参加した。画期的な成果を残したエンジニアはみなさん寡黙で、演説などは上手くない。しかし【挑戦者に無理という言葉はない】という気持ちで、身を粉にして考え続けていた・・・とか。このPelikanのペン先も間違いなく十分考えられた結果だなぁ・・・と感じている。
こちらが調整を施して首軸に取り付けた状態。上の画像から、左の画像にいたるまでの調整時間が約1時間。設計思想を知らされていない【市井の調整師】にとって、調整とは毎回が【料理の鉄人】の舞台と同じ。素材を提供され、相手の好みに合わせて料理する・・・けっこう緊張感は感じる。ただし、決定的に違うのは、持ち帰りの調整には制限時間が無いこと。これなら満足のいくまで調整を施せる。精神衛生上もはるかに良い。
今回の調整のコツはお辞儀の状態を変えないでスリットを開くこと(これはかなり経験が必要)、また丸研ぎを平研ぎに近い状態にまで削り込んでから丸めを施す事。これによって見違えるほどのインクフローと筆記感になる。
蛇足だが、これほどお辞儀がきついと、多少でも粗いペーパーでひと擦りすれば、ペン先はピーピーと泣きながらインクを飛び散らす。このペン鳴りが出れば書き味の良い萬年筆になったと喜んで間違いない!
・・・何かとんでもない喜び方を教えているような気もするが、ペン鳴りがする萬年筆はペン先を滑らかにするだけで、グー!な書き味の萬年筆に変化する事が多いのは事実じゃよ。
【 今回執筆時間:4.5時間 】 画像準備1.5h 修理調整1.5h 記事執筆1.5h
画像準備とは画像をスキャナーでPCに取り込み、向きや色を調整して、画像ファイルを作る時間
修理調整とは分解・清掃・修理・ペンポイント調整の合計時間
記事執筆とは記事を書いている時間