2009年10月01日

【Pelikan Red Book】 その8

2009-10-01 012009-10-01 022009-10-01 03 今回は文章を読まないとまったく理解できない4枚じゃ。27〜30頁。どうやら新社屋の建設か、工場増設あたりの話らしいが・・・attempto(1477番)しゃん、よろしくおねがいします!

 それにしても1905年にこれほど鮮明な写真が撮れていたとは驚き。アオリを使わないでも垂直線が真っすぐになる位置から撮影している。解像度の良い望遠レンズなどあるはずもない時代だし、ピントは近距離から遠距離まできちんと合っている。かなり絞り込み、スローシャッターで写してあるはず。撮影機材を知りたいものじゃ。

2009-10-01 04 こちらはかなり有名な写真。特に右側の写真はPelikan工場の福利厚生が如何に良かったかを示す写真として紹介された事がある。

 休憩時間かランチタイムに女性社員が昼寝も出来るような椅子に寝ている姿は印象的だった。

 だが1906年の写真ということになれば、穿った見方も出来る。露光時間が10秒以上かかるため、出来るだけブレない状態で写真を撮影するには、寝てもらっているのが一番!というようなノリで寝そべって撮影したのかも知れない。

 そういう目で見れば、みな表情が硬い・・・さて、写真も趣味という方々、これをどう解釈しますかな?

 また左下の自転車の写真も興味深い。男性が乗っている自転車はサドルが高く、ハンドルは低い。ロードバイクのような感じ。一方で女性が乗っている自転車はママチャリに近い。こちらの解説は自転車に詳しい人にお願いしたい!

 よろしく!


☆☆ ここからがattempto(1477番)しゃんからのコメントから転記したものじゃ!


ご無沙汰しております。ドイツから帰国後、いささか体調を崩していました。ドイツでの購入品についてはそのうちに。

さて、たしかに内容はEngelbosteler Dammの旧社屋から今日のPodbielski通りへの移転、そして新社屋についてです。1906年に完成した新社屋はU字形をしており、工場、研究部、梱包・発送部、倉庫を擁し、その内側に動力部を配置。当時ドイツ最大・最新の鉄筋コンクリート建築は外見的には、ペリカンの紋章をあしらった「マナーハウス」風(3頁目の絵画)。Fritz Beindorffのモットーによれば、社屋のクオリティが商品と企業のクオリティを示すのだと。

2頁目上は棟上げ式の写真、下はそれぞれ1920年頃のプライベートオフィスおよび会議室入り口の様子。(つづく)

(つづき)1913年には会社設立75周年にあわせて25000平米の第二社屋を建設。モダンだったのは、巨大な窓と明るい間接照明、空調やスチーム暖房を備えた工場だけでなく、様々な厚生福利施設。

社屋には浴場(各社員は毎週30分使用できたそうですが、当時のドイツ人の感覚では贅沢な行為だったのでしょう。いまでも中級以下のホテルや学生寮はシャワーだけだし)、食堂、休憩室、自転車置き場(それぞれ最後の頁の写真)があっただけでなく、疾病・出産・死亡時の援助金庫や女性社員のための支援課があった。

当時の観念では社会問題は国家ではなく、企業が解決するものだった。また企業家の側には「家父長」的な理解が色濃く残っており(マナーハウス風の社屋はその象徴)、同時に労働運動に対して防波堤を築く必要もあったのである。

今回もまただいぶ端折りましたが、だいたいこんなところで。


Posted by pelikan_1931 at 07:00│Comments(3) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 文献研究 
この記事へのコメント
1477しゃん

おお、体調もどりましたか? お大事に。

さっそく転記しておきます。
Posted by pelikan_1931 at 2009年10月05日 17:37
(つづき)1913年には会社設立75周年にあわせて25000平米の第二社屋を建設。モダンだったのは、巨大な窓と明るい間接照明、空調やスチーム暖房を備えた工場だけでなく、様々な厚生福利施設。

社屋には浴場(各社員は毎週30分使用できたそうですが、当時のドイツ人の感覚では贅沢な行為だったのでしょう。いまでも中級以下のホテルや学生寮はシャワーだけだし)、食堂、休憩室、自転車置き場(それぞれ最後の頁の写真)があっただけでなく、疾病・出産・死亡時の援助金庫や女性社員のための支援課があった。

当時の観念では社会問題は国家ではなく、企業が解決するものだった。また企業家の側には「家父長」的な理解が色濃く残っており(マナーハウス風の社屋はその象徴)、同時に労働運動に対して防波堤を築く必要もあったのである。

今回もまただいぶ端折りましたが、だいたいこんなところで。
Posted by 1477 at 2009年10月04日 23:50
ご無沙汰しております。ドイツから帰国後、いささか体調を崩していました。ドイツでの購入品についてはそのうちに。

さて、たしかに内容はEngelbosteler Dammの旧社屋から今日のPodbielski通りへの移転、そして新社屋についてです。1906年に完成した新社屋はU字形をしており、工場、研究部、梱包・発送部、倉庫を擁し、その内側に動力部を配置。当時ドイツ最大・最新の鉄筋コンクリート建築は外見的には、ペリカンの紋章をあしらった「マナーハウス」風(3頁目の絵画)。Fritz Beindorffのモットーによれば、社屋のクオリティが商品と企業のクオリティを示すのだと。

2頁目上は棟上げ式の写真、下はそれぞれ1920年頃のプライベートオフィスおよび会議室入り口の様子。(つづく)
Posted by 1477 at 2009年10月04日 23:46