2009年10月29日

【Pelikan Red Book】 その12

2009-10-28 012009-10-28 02 今回は43頁と44頁。いよいよ戦後のPelikanの時代じゃ。

 43頁の萬年筆はPelikan 400。これは1950年から発売が開始された。最初に発売されたのは緑縞と茶縞とグレー軸で1950年の5月の発売。同じ年の7月には黒軸が発売された。そして1954年にキャップも胴体も緑の軸と、薄い茶縞(light tortoise-shell)が発売された。

 1954年物は発売本数が少なかったのか、ほとんどお目にかかった事がない。

 このPelikan 400と一番形状が似ているのは、#500と呼ばれている復刻品。その初期のペン先は【淫らな書き味】と呼ばれるヘロヘロに柔らかいニブを持っていた。

 44頁の上の画像はPelikan 400の緑縞の萬年筆と、セットのペンシルで450と呼ばれる物、さらには400の茶縞じゃ。

 400と同じタイミングでPelikan 500と呼ばれる金キャップ&尻軸のモデルが発売された。

 下に掲載されているのが小型のPelikan 140じゃ。これはPelikan 400から2年遅れて、1952年4月から発売が始まった。当初は赤軸、黒軸、緑軸、グレー軸、青軸が発売され、最も一般的な緑縞軸は1955年からの発売となっている。そのほかに発売時期不明だが、ダークブラウンや薄い茶縞も発売されたらしい。ダークブラウン軸だけにはお目にかかったことがないなぁ・・・

 なをスチールペン先を持つPelikan 120も1955年に発売されている。ペン先がスチール製だったため現存するものが少ないのか、オークションにもめったに顔を出さない。

 このあたりまでが戦後の黄金期で、そこから先は暗黒の時代がしばらく続く?そのあたりは次回!


解説文にはもっと面白いことが書かれていそう。attempto(1477番)しゃんに補足説明をお願いしたい。よろしくおねがいしま〜す!


☆☆ ここからがattempto(1477番)しゃんからのコメントから転記したものじゃ!

こんにちは。くちばし型クリップの設計図(1940年)がすてきですね。さて、45年4月にハノーファー市はイギリス軍に占領されますが、戦災をほぼ免れたペリカン社は数週間後に生産を再開。中心はモデル100Nでした(100は部品生産のみ)。同時にテオドール・コヴァクスのもと急ピッチで開発されたのが400モデル。43頁右下の写真は、100同様のマーブル模様の不透明軸に横長のインク窓が開いたプロトタイプ(本文によれば1989年のペリカーノに用いられた形式)。400シリーズはドイツの奇跡的経済復興とともに25マルク前後の価格帯のベストセラーに発展。映画俳優Dieter Borscheは出演作の小物としてペリカン社に万年筆の提供を依頼し、これがドイツでは映画やテレビに製品を絡ませる「プロダクトプレースメント」の先駆けになったそうです。1952年登場の140については師匠解説の通り。・・・私ごとで恐縮ですが、140は私の愛用の万年筆です。どこかで、140のクリップなどの金メッキは400よりも質が低く剥げやすいと読んだのですが、本当でしょうか?
さて、万年筆とともにペリカンはオフィス用として大きな需要があった鉛筆(所謂シャープペン)、さらに急速に広まったボールペンを大メーカーとしては最後発となる1955年に発売。1958年にビック社が使い捨てボールペンを発売するという話で44頁は終わります。では、また。


Posted by pelikan_1931 at 07:30│Comments(4) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 文献研究 
この記事へのコメント
Bromfield しゃん

おお、この本は文書室の知見と資料を集めて作られたものなのですな!
Posted by pelikan_1931 at 2009年10月31日 08:51
attempto しゃん

解説、ありがとしゃん。本文に入れておきました。

Posted by pelikan_1931 at 2009年10月31日 08:49
この章の解説を書いているJurgen Ditmmer氏は、ペリカン社の文書室の方(archivist)です。以前、『社史』についての質問をペリカン社にメールで送ったところ、懇切丁寧なお返事を、この方からいただきました。
Posted by Bromfield at 2009年10月29日 10:26
こんにちは。くちばし型クリップの設計図(1940年)がすてきですね。さて、45年4月にハノーファー市はイギリス軍に占領されますが、戦災をほぼ免れたペリカン社は数週間後に生産を再開。中心はモデル100Nでした(100は部品生産のみ)。同時にテオドール・コヴァクスのもと急ピッチで開発されたのが400モデル。43頁右下の写真は、100同様のマーブル模様の不透明軸に横長のインク窓が開いたプロトタイプ(本文によれば1989年のペリカーノに用いられた形式)。400シリーズはドイツの奇跡的経済復興とともに25マルク前後の価格帯のベストセラーに発展。映画俳優Dieter Borscheは出演作の小物としてペリカン社に万年筆の提供を依頼し、これがドイツでは映画やテレビに製品を絡ませる「プロダクトプレースメント」の先駆けになったそうです。1952年登場の140については師匠解説の通り。・・・私ごとで恐縮ですが、140は私の愛用の万年筆です。どこかで、140のクリップなどの金メッキは400よりも質が低く剥げやすいと読んだのですが、本当でしょうか?
さて、万年筆とともにペリカンはオフィス用として大きな需要があった鉛筆(所謂シャープペン)、さらに急速に広まったボールペンを大メーカーとしては最後発となる1955年に発売。1958年にビック社が使い捨てボールペンを発売するという話で44頁は終わります。では、また。
Posted by attempto at 2009年10月29日 09:34