
そこに書かれている本来の意味を曲解すると爆笑ネタになる事も多い。
まずは、故事・ことわざを青字、それの正しい意味を赤字で示す。
それに対する拙者の曲解を下に黒字で書いておく。
これを真似て、青字の部分に関する【浅はかで愚かな解釈】をコメント欄に書いて下され。
1:連木で腹を切る(れんぎではらをきる);
とうてい出来ないこと、不可能なことのたとえ。連木とはスリコギのこと。連木を刀代わりにしても腹が切れるはずがないことから。
→ 今年は新しい萬年筆は買わないという公約 (新規をNewに言い換えてVintageを買っただけと言い訳すればよい)あるいは(これは来年の分と屁理屈をこねる)
→ ことしは沈黙の悪魔と呼ばれるように心がけますという公約(もしすればですが) そもそもジョークだとすぐわかる。【不言実行します】と多方面で公言するのはのは自己矛盾!
→ ちなみに、元旦に誓った今年のテーマは「禁酒」です。酒は一滴も飲みません。でも、宴会にはじぇったい参加します。 by foolsbook 宴会に出席した時点で負けのような・・・
→ 公約は破られるためにある。突っ込めるから楽しめる! 御大の名言
→ 政治の世界でも政権を取ったことのない人の公約なんて現実を知らないのだから実現を期待する方がおかしい。はハイハイ、がんばってね!
今度の運動会で1番を取ってやる!という意気込みと同じレベル。でも意気込みだけは買ってあげよう。現実を知れば、次回は少しはまともになるから。もし次回があれば・・・
2:蝋燭は身を減らして人を照らす(ろうそくはみをへらしてひとをてらす);
自分の身を犠牲にして他人のために尽くすたとえ。
→ 真面目な調整師は自分の萬年筆を削って腕を磨く
→ ずるい調整師は人の萬年筆を削って腕を磨く(拙者)
→ ずごい調整師は自分の爪をチャーチャーと削っただけなのに依頼者を書き味で感動させる。まるで催眠術!
3:六十の手習い;
年を取ってから学問や習い事を始めることのたとえ。手習いとは習字のことで60歳になって習字を始める意から。
→ 老眼になってから始めるペン習字講座。50の手習い?
→ その歳になると素直にコメントを受け入れられないらしい。かなりサディスティックなコメントもあるとか・・・
→ 親方がペン習字講座の添削員をするとおもしろいかも?
【ここはこうハネるんじゃ!何度言ってもわからんやっちゃ!シバいたろか!】これならすぐに上達するかも・・・
4:我が子自慢は親の常(わがこじまんはおやのつね);
我が子の自慢話は親につきもの。親は誰でも自分の子を自慢したがるということ。
→ 萬年筆研究会【WAGNER】では自分の萬年筆自慢をする人は少ないが、自分の萬年筆の書き味自慢をする人は多い。
→ でも人の萬年筆で書いてもけっして気持ちよくはない。おいしいところを選んで書けば良いねぇ・・・といったところ。
その人用に調整された萬年筆は他人にとっては普通 or 苦痛!
→ 調整には個人向調整と一般向調整がある。調整師ではない人がやるのは個人向調整なので他の人には苦痛かも?
5:我が仏尊し(わがほとけとうとし);
自分が良いと思うことや、自分の持っているものが、ほかのどんなものよりも良いと思い込んでいるたとえ。
→ 我が萬年筆尊し・・・と思えておれば遍歴することもなかったのに。
→ これが情報化社会の弱点!よけいな情報の存在が迷いを生む。20世紀最大の過ちはインターネットの発明か?
→ 21世紀で気持ちよく生きるには・・・半一族に加わるのが一番良いかも?まさに、我が仏(ニ右衛門半:一般名詞)尊し
拙者はATOKに【にえも】と入力して変換キーを押すと、ニ右衛門半と変換されるように設定している。
6:災いは口から(わざわいはくちから);
よていなことを言ったために思わぬわざわいを招くことがある。よけいなことばには十分に注意せよという戒め。
→ 災いは口から、誤解は耳から、和解は心から
聞いただけのことを曲解しないように!
→ 【災いは口から】と関西地区大会、中部地区大会の入口に貼りだしたら・・・
さっそくツッコミの嵐? 【災いは大口からでしょう!わたしのようなおちょぼ口ではなんの影響もありません・・・云々 by あくま】 ひとしきりツッコミ合戦で盛り上がるかも?
→ 【ほれ見てみぃ、おまえがあることないことぺらぺらしゃべるから師匠がこんなもん貼り出すんや。しょうもないことしゃべらんとケロリンみたいにだまっとれや・・・云々 by しげお】 みんなでひとしきり頭を揺らす・・・