2024年08月18日

〔 Pelikan 125 Jahre Katalog その12 〕アーカイブ

緑のインクで手紙を書けばそれはさよならの合図になると誰かが言ってた・・・という歌詞のメランコリーが発売されたのは1976年。

拙者が代筆してたのは1970年の大阪万博の前だったので、緑色インクを使うのには抵抗がなかった。

メランコリー」(めらんこりー)は、1976年9月21日に発売された梓みちよのシングルで、喜多条忠(作詞)吉田拓郎(作曲)。

1971年ごろ(ちょっと貧乏くさい)フォークソングを歌ってた吉田拓郎が作曲というのは知らなかった。

当時はフォークソングは学生運動家に結構人気があったらしいが、典型的なノンポリ(やや右より)の拙者はアイドル歌謡一辺倒。

(東京大学)が推す山口百恵、(早稲田大学)が推す桜田淳子、(早稲田大学)が推す石川さゆりはどれも好きだった(可愛かった)。

ちなみに拙者の親友だった東京芸大のT君はアグネスチャン推しだった。

アグネスチャンは1955年8月20日生まれ
石川さゆりは 1958年1月30日生まれ
桜田淳子は1958年4月14日生まれ
山口百恵は1959年1月17日生まれ

桜田淳子と山口百恵は同学年なので、拙者が大学3年生(1973年)のころには16歳くらいで、まだ歌は上手ではなかった。

ただ、17歳の石川さゆりは1973のデビュー曲(かくれんぼ)から歌のうまさが光っていた。アイドル歌謡なのに演歌に近い発声だったがな。

花の中三トリオ全盛時代に石川さゆりを推した慶応大学は流石じゃ!

ホリプロは最初に森昌子、石川さゆり、桜田淳子でホリプロ3人娘として売り出そうとしたのだが、桜田淳子の獲得競争でサンミュージックに敗れた。

そこでホリプロは、その後にスター誕生に出て、桜田淳子のそっくりさんと誰もが思った山口百恵を獲得し、〔
ホリプロ3人娘〕と名付けたが・・・

桜田淳子の存在は大きく、結局〔花の中三トリオ〕に食われて1学年上の石川さゆりはトリオ以外で売られることに!それが後の
津軽海峡・冬景色に繋がったのだろう。

津軽海峡・冬景色は彼女の15枚目のシングル曲。ホリプロで無ければここまで待ってくれなかっただろう。

石川さゆりの本名は石川絹代。芸名のさゆりの名付け親は岡田太郎。そう吉永小百合の旦那さんだ。

石川さゆりは1972年秋に放映されたフジテレビの連続ドラマ『光る海』では、沖雅也の妹役としてレギュラー出演していた。

その時の番組プロデューサーが岡田太郎で、彼が吉永小百合と結婚するのは翌年の1973年

岡田太郎は「いつまでも美しく清潔であってほしい」というイメージで(さゆりと)命名したそうだ。まるで吉永小百合宛のメッセージのようだ。

拙者の推し順は、桜田淳子>石川さゆり>山口百恵だったが、歌は圧倒的に石川さゆり推しだった。

文中に出てくるPelikanのカートリッジのカーキは、今ならTono&Lims さんで簡単に同じ色を作ってもらえるのだが、肝心の色味を忘れてしまった。残念!

マタンゴは、キノコを食べるとキノコ人間になってしまうというもので、初期のゾンビ映画を参考にしたのかもしれない。1941年作の死霊が漂う孤島(King of the Zombies)

マタンゴは1963年(昭和38年)8月11日の夏休み映画として公開され、当時まだ10歳だった拙者は、怖くてしばらくはキノコが食べられなくなったものじゃ。

前年の春休みに公開された
『妖星ゴラス』が宇宙物のSF映画として秀逸だったのに、なんでこんなスリラーを作るのかと憤慨した記憶がある。

このマタンゴの影響で、拙者は
ゾンビ映画が怖くて今でも見られないのじゃよ・・・




2007-11-04 01やっと万年筆に関係する頁が出てきた。最初はインク。この時代にはボトルの形状は既に現在と同様。蓋も同じように思える。

このあとクラシック・インクボトルなども一時発売したが、定番品はこのボトルじゃ。ちなみに、同じ形状のボトルに入っているインクとしてCrossがある。

【Fountail Inks a Sampler】では、CorssはPelikanと同じなので敢えてテストしないと記載されていた。

要するにCrossのインクはPelikanが作っていたわけじゃな。ほかにはFeber-Castellも似たボトル。怪しい?

拙者が高校生だったころにはPelikanとParkerが丸善に並んでいて、それらを買ってきては混ぜて色を作っていた。インクブレンダーの草分けか?

いろんなインクを混ぜたが、入れた万年筆が全て中国製の安いもの(150円から高くても600円)だったので、特に不具合を感じた事は無かった。それに紙も【わら半紙】だったしな。

当時一番好きだったのは緑色。ParkerにもPelikanにも大きなボトル(60ml程度)の緑インクがあった。Pelikanの方がねっとりしていて好きだったな。

【緑のインクはサヨナラの合図】なんて歌はまだなかったはずなので、代筆の恋文の下書きに使っていた。

拙者は文章を考えるだけで、筆記そのものは恋文を出す本人が書いていた・・・あたりまえじゃが。

Fountail Inks a Sampler】によれば、緑色の中ではペリカンが最も耐水性&耐光性が高いという評価だった。

色自体はペンマン・エメラルドが好きだが、ペンマンの中でも際立って危険なインクらしい。

一ヶ月入れっぱなしだとペンポイントのあたりに毒キノコ【マタンゴ
】のようなものが出来る。気色悪〜い!


2007-11-04 02こちらはカートリッジ。ヨーロッパ標準カートリッジ。このタイプのカートリッジはほとんど使わない。

最近ではラブレターインクがカートリッジでしか入手出来なかったので、それをダンヒル・ドレスコレクションに入れて使っていた。

その前に頻繁に使っていたとなると・・・万年筆に嵌る前にプラチナ・グラマーに入れていたころまでさかのぼる。

ヨーロッパ標準という名はついているが、昔はちっとも標準ではなかった。

そのメーカーのカートリッジでないとインクが漏れたり、出が悪かったりと、ロクな事は無かった。今でもこのタイプのカートリッジは使いたくない。

ただしPelikanのカーキの色は最高だった!カートリッジから注射器でコンバーターに移し変えて使っていた。

WAGNERインクとして復活させたいのだが、なかなか道は遠そうじゃな。


2007-11-04 03やっと万年筆が出てきた。この当時はPelikanの基幹商品ではなくなっていたのかもしれない。まずはPelikan P1シリーズより。

拙者はこのシリーズでは萬年筆しか所有したことは無いが、ボールペンも魅力的。

ペンシルなら400NN系の方がよいが、BPならP1が良さそう。レフィルはAURORA テッシー用が適合するかも知れない。

何故にこの時代のPelikanのBPがすきかといえば、レフィルの良さ。

書きやすさとか、色の具合ではなく、チップにいたるレフィルの首が細いこと。パーカー型は首が太いので、どうしてもシャープな感じがしない。

ところがこの時代のPelikan用のレフィルは、首が細長いので、ボディからにょっきりと先が出ている。

この感じが好き! 純正レフィルがあれば楽しめるのに・・・もう日本では売っていないのかなぁ?


2007-11-04 04このPelikan P1-RGはParker 51 対抗製品だったが、結果的には大失敗だったようじゃ。

コマーシャル全盛時代に商品の性能や拘りだけで勝てるわけが無い。

それに回転吸入式というのが、いかにも時代に取り残された感じを出してしまったのではないかな?

拙者はBとBBしか使ったことは無いが、それらはカリグラフィー的な研ぎで実に良かった。ニュルニュルと滲み出してくるようなインクフローも好みで何本も購入した。

赤、緑、グレー、黒は使ったことがあるが、金張キャップで、ほかの色はあったのかな?青は絶対にありそうだが・・・・

この萬年筆の最も好きなところはキャップの嵌り方。くるくると回していくと、グっと抵抗があり、その後で、クィっと早回しするように回って止まる。

これはParker 75のキャップがパチンとしまるのと並んで、萬年筆として最も好きな感触!

唯一の弱点はピストン。力いっぱい回すと、空回りして内部のピストンの位置がずれてしまう。これには要注意じゃ。

やさしくやさしく扱わないといけない。がさつな人は絶対に使えない萬年筆といえよう。
 


Posted by pelikan_1931 at 23:59│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック